コロナ禍の緊急事態宣言による外出自粛で、在宅勤務がいやおうなしに広がった。カオナビHRテクノロジー総研が9月23日に発表した調査結果によると、「IT・インターネット」業界では、リモートワークがかなり定着し、いまでも3割超の会社がフルリモートだということだ。
コロナ禍が、東京一極集中を是正するきっかけとなるという識者は多い。パソナグループだけではなく、感染者が多い東京に本社を置く企業では、地方に新たなオフィスを移す動きを強めている。リモートワークをしている人々の間にも、コストの高い東京から、環境がより良い郊外や地方へ移住する傾向が見られる。
かつては「西の六甲・東の軽井沢」と呼ばれた
そんななかで、阪神タイガースの応援歌、ミネラルウォーター、そして1000万ドルの夜景で知られる「六甲山」に、熱い視線が注がれはじめている。
六甲山は、神戸の市街地のすぐ北側に位置するにもかかわらず、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」のイメージどおり、海岸線からわずか7キロメートルで標高931メートルの山頂にいたる急峻な地形だ。山岳救助のためにヘリコプターが年間50回も出動する。
ところが、気候は温暖少雨の瀬戸内気候なので、冬でも雪に閉ざされることはなく、平地との気温差は5度程度。夏の酷暑でも、山頂近くは25度ほど。市街地がヒートアイランド現象によって35度を超える日でも、涼しく快適に過ごすことができる場所だ。
今から100年以上前、そんな六甲山に注目したのが、明治維新の開港のあとで外国人特権が認められた居留地で働く、欧米から移り住んだビジネスマンたちだった。
彼らはこぞって山上に別荘を建てた。日本最初のゴルフ場も開設、やがて、鉄道会社がロープウェーを整備して観光開発が進むと、1930年頃には東の軽井沢と並び称される高級リゾート地となった。
当時たくさんのゴルフ場が六甲山に開設された
1956年には、六甲山が、開発を抑制して自然を保護する「国立公園」に指定された。当時、全国の観光地がしのぎを削って「国立公園」というブランドの獲得を争っており、どうやらその流行に乗ったようだが、これがこの地の運命を左右する大きなきっかけとなった。
その後、六甲山は、高度成長期に企業の保養所や別荘にとって憧れの場所として人気を集め、1990年には229社もの保養所が建ち並ぶこととなる。しかし、バブル崩壊によりそれらは次々と閉鎖。なんとか当時の活気を取り戻そうとしても、建物を他の目的で使うことは「国立公園」の規制によって禁止されている。それがネックとなって、山上は寂れる一方だった。