イベントには、岡山大学も参画している。同大地域総合研究センターの岩淵泰准教授(市民参画)は、パーキングデイは人と人とのかかわりを作り直すイベントであると強調。その上で、「今回参加したのはほとんどが地元の人。コロナ禍で自粛が続き、人と触れ合いたいという気持ちが強かったのだろう」と分析した。
また「商店街には大工さんや電器屋さん、ガーデナーなど、高いスキルを持った人が多いことに今回気づいた。彼らが準備に参加したことで、これだけのクオリティの装飾や空間づくりが実現した。これぞ日本の商店街の底力だ」と語り、商店街のリソース活用の可能性を指摘した。
コロナ禍においては、「マイクロツーリズム」という観光商圏の考え方に、にわかに注目が集まっている。石田氏は、「コロナ禍で新たな生活様式が叫ばれ、自宅周辺の生活圏をどう快適に過ごすかなど、個人にとっても地域にとっても、ふと立ち止まって身近な空間を捉えなおすタイミングに来ている」と指摘。都市空間や生活空間を含めた公共空間の新しい使い方と、そこで生活する人々の新たな関わりを模索するきっかけになっている点で、パーキングデイの取り組みを評価する。
コロナ禍で高まる「日常」へのニーズ
「『日常の延長』を意識している」と語る「ミズシマ・パークマネジメント・ラボ」の古川明代表
「ミズシマ・パークマネジメント・ラボ」の古川明代表(68)は、「我々は打ち上げ花火的な単発の『イベント』ではなく持続可能な『日常の延長』を意識している。マスク着用やソーシャルディスタンスを呼び掛けるなどコロナ対策を万全にした上で、今後もこうした企画に取り組んでいきたい」と語った。
コロナ禍で「日常」が失われたからこそ、「日常」や「くつろぎ」へのニーズがこれまでになく高まっている。筆者自身、コロナ前に「非日常」として楽しんでいたことが、楽しめなくなっていることにショックを受けたことが何度もある。コロナ禍で「それどころではない」という気持ちではなく、「なぜか楽しめない」のだ。そして、気が付いた。コロナ前の「日常」こそが、ある意味ウィズ・コロナ時代の「非日常」であり、人々が求めているものなのだと。
コロナ禍において、人々はかつての「日常」に幸せを感じる
古川代表の言葉を借りるなら、イベントという単語ももはや使う必要はないのかもしれない。いま、必要なのは地元住民を対象とした「くつろげる空間の創出」なのだ。コロナ禍におけるまちづくりや観光施策のヒントが詰まった一日だった。
連載:世界を歩いて見つけたマーケティングのヒント
過去記事はこちら>>