いま日本とアメリカで並行するかのように、女性の権利を奪う、または軽視する勢力が活発化しているように思う。
日本では、杉田水脈議員の性暴力被害者に向けられた「女性はいくらでもうそをつけますから」という発言により、彼女の辞職を求める署名が13万6000も集まった。それに対し杉田議員は、自身のブログで謝罪したつもりでいるらしいが、巷の怒りは収まっていない。
先日は、自民党の野田聖子幹事長代行がその署名の受理を拒否した。「署名には、辞職を求めると書いてあるから」というのが言い分らしいが、国民の声に耳を傾けるのも仕事である人が13万6000人もの声を無視したということになる。
一方、アメリカでは、女性の権利のために戦ってきた最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグ氏が9月18日に87歳で亡くなった。その直後、トランプ大統領がその後任として、女性の権利、特に母体の危険性や、性暴力・虐待での妊娠をも含むいかなる理由でも中絶を一律に禁止するべきと考えるエイミー・コニー・バレット判事を指名した。
それにより、アメリカで大きな波紋が広がっている。女性の身体の決定権は女性自身にあり、政府がコントロールするものではないという定義は、ギンズバーグ判事を含め、これまで女性たちが苦労して勝ち取ってきた権利だからだ。
女性の権利確立のために闘った、故ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏(Getty Images)
「女の戦い」のように見えるが、利益を得るのは誰か
杉田議員も野田議員もバレット判事もみな、過去の女性たちの運動があってこそ現在の地位にいる。それにもかかわらず、他の女性たちの声を軽視し、権利を奪おうとするとは何事か。
でも思う。この「女の戦い」のように見える一連の出来事で利益を得るのは誰なのかと。
メディアでは、上記の女性たちへの抗議運動をする女性の姿ばかりをビジュアル化することで、「女の敵は女」というフレームに納めがちだ。自民党もこういう時は巧みに女性党員を利用する。トランプ政権もスポークスパーソンを女性にし、選挙を目前にして急遽最高裁判所の空席を埋めるために女性を起用するのには、女性の有権者へのアピール等の理由があるからだ。悲しいかな、女はそうやって男の利益のために利用されてきた。