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最先端の経済誌「Forbes JAPAN」の記事紹介


田中と斎藤がジェンダーに目を向けるようになった背景には、10代で感じた“違和感”がある。

大阪で生まれ育った田中は、小学校では自分から率先して手を挙げるタイプだった。しかし、公立の中学に入ると途端に消極的になった。リーダーシップは男子生徒が取るものだという空気が漂っていたからだ。本当は生徒会長や応援団長をやりたかったが、「こういう場所なのだから仕方ない」と自分を納得させ、言動を控えるようになった。

「当時の私には、その感覚が性別に対する固定観念やジェンダーギャップから来ているという意識はありませんでした」(田中)

大学では文系に進み、卒業後はテレビ番組制作会社に入社した。だが、男性中心の職場で意見すら言えない。「私がやりたいのは、これじゃない」。1カ月で仕事を辞め、やりたいこと探しの日々が始まった。

ちょうどそのころ、斎藤もまた居心地の悪さを感じていた。中学・高校を東京にある私立の女子校で過ごした斎藤は、「勉強が好きで、部活も好きで、リーダーシップも全部自分で取っていました」。だが、京都の国立大学に進学すると状況は一変。同級生とテンポが合わない。リーダーシップを取ろうとしても、誰もついてこない。

「暗黒時代でした。でも、私もそのときは東京と地方の差かな? くらいに思っていました」(斎藤)

フェミニズムを知ったのは、米・アリゾナ大学の大学院に進学してからだ。ロースクールに通う女性の同級生たちは強く、人権問題にも詳しかった。そして彼女たちと話すなかで、大学時代に覚えた違和感の根底にはジェンダーの問題があったのかもしれないと気づいたという。

もともと興味があった統計を学び直し、コーディングとデータ分析の力を磨いた。修士号を取得し、データアナリストとしてIT業界に進んだ。そして数年後、田中に出会うことになる。

1日たりとも諦めたことはなかった

 
メイクアップアーティスト? 塾の講師?

フリーターになった田中は、進むべき道を模索し続けていた。「なんでちゃんと働かないの?」。周囲の目は厳しかったが、納得するまで行動すると決め、2年かけてさまざまな業界を見て回った。

プログラミング業界の存在を知ったのは、このころだ。試しに無料で学べるサービスを使ってみたところ、次世代を担う子どもたちには不可欠なスキルだと実感した。

文=瀬戸久美子、写真=平岩 享

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