「質量」への回帰。カトレヤトウキョウ塩内浩二に聞く、これからの表現

CATTLEYA TOKYO(カトレヤトウキョウ)塩内浩二氏


グラフィックデザイナーを志しましたが、デザインの世界は広告クリエイターが大多数を占めていた時代。自分は入口がサブカルチャーなので、好きなものと創るものが一致しないまま創らなければいけないと感じていました。ファッショングラフィックも日本ではまだ曖昧な時代で、パリの「Art+Commerce」に所属する超一流のクリエイターのように、純粋にかっこいいものは作れないのだろうと。

不安を抱えつつ、大学生の頃からフリーで仕事を始めました。民放のテレビ番組のロゴやタイトルバック、音楽アーティストのPVやクラブイベントの映像をつくりました。

その後、ヨーロッパのハイカルチャーに憧れてイギリスの美術大学に留学、学業と並行しロンドンのクラブで定期的にVJ(ビジュアルジョッキー)としてプレイしながら、フライヤーなどのグラフィックデザインを手掛けていました。

帰国して京都精華大学に編入学。恩師たちからモノ作りの企画立案を学び、ファッショングラフィックやアートワークの研究に集中することができました。

実際、25歳で独立してからはご飯を食べるための「ライスワーク」がほとんどで、「あんなに憧れてきたのに自分はこんな程度か」と忸怩たる思いを抱えていました。徐々に匂いを嗅ぎ分け、人とのご縁が重なり、ようやく35歳になった今になって、「好きなものと創るものが一致できる世界」に身を置くことができました。

素敵な仕事にも恵まれましたが、まさに20代後半までは千本ノックの日々で、球を打ち返すばかりで手応えがなかった。メンター達の作品を見てきて、自分の作品がいかにみんなの心を動かすか、世にポジティブな影響を与えるかを考えてきました。

30歳で伊勢丹さんのキービジュアルから映像、webディレクション、ウィンドウディスプレイまで、包括的にお仕事をさせていただいた時がターニングポイントでしょうか。

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ジャケットデザインを手掛けた、アーティスト「ずっと真夜中でいいのに。」初のフルアルバム「潜潜話」。デジタル・ストリーミング全盛の流れと逆行するかのような、記号や文字をレイアウトした先鋭的な豪華パッケージが話題を呼んだ。


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アートディレクションを手掛けたファッションブランドBODYSONG. の“ADVERTISEMENT VERSION”のキービジュアル

まだ道半ばですが、35歳の今になってやっと「生きがいを感じるための活動 = ライフワーク」と言える活動ができるようになってきました。マズローが「『生きがい』に結びつくのは、『自己実現の欲求』」といったように。

憧れと欲望の果てに、昔から想いを馳せた領域に近づいた感じです。妄想より現実は遅く、16歳の時から憧れ続けて、創造的な活動に至るまでに19年かかりました。デザイナーの仕事とは別で、アーティストとして展覧会も開けるようになりました。


総合演出を手掛けた展覧会「AtoZ MUSEUM(R) by A2Z」
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聞き手、写真=小田駿一、構成=林亜季

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