宮﨑敏郎が決めた「変化をしない」選択、結果が出なくても自然体で

横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎

月日が経ち、年齢を重ねれば人は変わっていくものだ。特に変化のスピードが早い現代において“変化する”ことの重要性は高まってきている。ビジネスパーソンであれば、年齢や役職、環境が変わるごとに、考え方を変えることは少なからず必要とされる。

そうした中、“変化しない”ことを武器にキャリアを積んできた人物がいる。横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎、31歳。“プーさん”という愛称でファンから親しまれ、2017年には首位打者を獲得したこともある、日本トップクラスの選手だ。

高校時代、甲子園の出場経験はなく、日本文理大学を卒業後もプロからの声は届かなかった。大学卒業後はセガサミーへ入社。同社の硬式野球部に所属し、都市対抗野球大会で結果を残したことでスカウトの目にとまり、プロ入りの道が開けた。平坦ではない道のりを経て、2012年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから6巡目指名でプロ入りした。

彼を語る上で欠かせないのが、小学生の時から変えていない独特なバッティングフォームだ。 多くの人は“天才的”と評する。

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(c)YDB

変化することがレベルアップにつながる──そう言われることの多いプロ野球界で、変化をしない選択をし続けている宮﨑。人は人、自分は自分と頭では分かっていても、それを実践できる人は少ない。もちろん、宮﨑もキャリアの中でミスをしたり、不調を経験したりしてきたが、それでも彼が何かを大きく変えることはなかった。

アスリートとビジネスパーソン。場は異なれど、仕事のキャリアを歩む上では同じ存在。アスリートの思考法がビジネスの現場で役立つこともきっとあるはずだ。Forbes JAPANが横浜DeNAベイスターズの全面協力を得て、選手の思考法に迫っていく連載5回目に登場するのは宮崎敏郎だ。変化せずにいたからこそ見えてきた世界に迫っていく。

一度やってみて、取り入れるべきかを考える


宮﨑のキャリアは逆境からのスタートと言っていいだろう。ドラフト6巡目指名からのプロ入り。社会人からの即戦力を目指す宮﨑が持ち続けたのは、「やってみなければ分からない」という思いだ。

プロ1年目の春季キャンプ中には左腹斜筋の肉離れを起こした影響で、開幕1軍入りは遠のく。しかし腐ることなく、イースタン・リーグでは開幕直後からクリーンアップに定着し、5月には一軍デビューを果たす。

プロ4年目となった2016年には一軍での出場試合数が100試合以上を超え、いよいよレギュラー定着への道のりが見えてきた。この年から監督に就任したアレックス・ラミレス監督からの信頼を勝ち取っていく。
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文=新川諒 写真=小田駿一

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