「何のために働くのか」という旗を立てる。結果、予測できない時代のキャリアはつくられる

NPO法人ファザーリング・ジャパン関西の篠田厚志理事長


複数のキャリアを経験すれば、子どもにより多くの選択肢を見せられる


自分の死を意識することは、仕事に対する考え方も変えます。

「このまま今の仕事を続けることが最善なのだろうか」と思うことが増えました。自分の限られた時間を納得いくように使うため、いつか辞めることになるだろう。そんなことを考えていた中、財政部門に異動することに。

職務内容は、大阪府下の市町村ごとに必要な地方交付税額を算出するといった、スケールが大きくやりがいを感じられるもの。まわりの同僚や先輩、上司もすばらしい方々ですごく楽しかったんです。

でも、ただ、国から決められたスケジュール・段取りで行わなければならないため、仕事を自分でコントロールできているという実感が得られなかったことと、誰がやってもある程度同じ成果が出るような仕事の仕組みだと感じたこともあって、そんな状況でふと思ってしまった。

「これが、府庁での最後の仕事だな」と。

「お金を稼ぐためだから、仕方がないでしょう、それが仕事というものだよ」と言われるかもしれません。転機が無ければ、「仕事にはやりがいを感じられているのだからいいじゃないか」と、これまで通り働き続けていたと思います。

けれど、自分の中に芽生えた新しい価値基準がそれを見過ごせなかった。何のためにお金を稼ぐのかと考えると、家族のため。それなのに、肝心の家族と過ごす時間が十分に取れていないのは本末転倒だと思ったんです。

33歳のときに大阪府庁を退職しました。



安定した職を辞めるとなると、家族からの反対はつきものです。しかし、当時の妻の反応は「とうとう来たか」という感じでした。肺に影が見つかった29歳の頃から、妻には「いつか辞めると思う」と話していたんです。

というのも、「子どもに何を残せるか」と考えたときに、できるだけ多くの選択肢を子どもに提示して、視野を広げてあげられる父親でありたいという思いが湧いてきたから。

私は公務員で、妻は保育士。お互い、ひとつの働き方しか知らずに生きてきました。けれど、私たちの子どもはこれから予測できない未来を生きていかなければいけません。

「親がいろんなキャリアを知っていて、いろんな経験をしていた方が、アドバイスできることが多いはず。そういった理由から、転職したい」。4年間そう伝え続けてきたから、妻は理解してくれました。

経験したからこそ、「しんどい」も「楽しい」も話すことができる


大阪府庁で働いていた頃から、後の転職先となるファザーリング・ジャパン関西の活動には週末に参加していました。

当時はまだまだ子育てに参加する男性が少なかったために、ひとりの父親として「どのように子育てをしているのか」を話したり、子どもとの遊び方を教えたりと、場作りを手伝っていたのです。

そんな中、ファザーリング・ジャパン関西がNPO法人化して間もないときに、理事長とともに活動を主導していた当時の事務局長が急逝されてしまって。退職して「これからどんな仕事をしようか」と考えていた私に、「彼の後継者を探している。どうだ?」と声が掛かったのです。

「父親をはじめ、誰もが子育てをおもしろがる社会にしよう」という団体の思いと、自分自身の大事にしたい生き方とは重なる部分が多く、転職を決めました。

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文=倉本祐美加 写真=岡本直子

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