自由を求めるか、安全を取るか。晩年を迎えたある女性の決断は?

松崎 美和子

「ツルピカ」か「モジャモジャ」か


さて2つ目のポイントは、「人は安心と自由のどちらを選ぶのか」という大きな命題。「安心」を象徴するのが、中盤からエミリーに急接近してくる、ツルッとした顔にピカピカの眼鏡を光らせる会計士ジェームスだ。

マンションのお節介な隣人が「未亡人にはうってつけでは」と紹介したジェームスは、エミリーの借金問題を解決する代わりに彼女の恋人になる気満々。彼に全権委任すれば安心は買える上に元のリッチな生活も夢ではないだろうが、おそらく自由は失われる。

金で買えるツルピカ・ジェームズの安心か、先行きはわからないモジャモジャ・ドナルドの自由か。もちろんエミリーは後者を選ぶのだ。

何よりエミリーにとっては、というか観ている私たちにとっても、仕立ての良いスーツを着てさまざまなプレゼントで釣ろうとする体毛の薄そうなジェームズより、森で食べられるベリーやキノコの種類を知っていて頭も胸毛も自然体のドナルドの方が、ずっとセクシーに思えるからだ。セクシーとは、どこでも一人でサバイバルしていけそうな人から漂ってくる匂いのことである。

「小屋を守ろう」運動の広範な盛り上がりの結果、ついに法廷で土地の所有件が認められた後、ドナルドとの将来を考え始めたエミリーと、自由に生きたいドナルドとの間には亀裂が生まれる。

やはりそう簡単に、ツルピカの誘惑を捨てて思いがけず資産家になったモジャモジャと楽しく暮らしました、とはいかない算段である。それではあまりに都合が良すぎるというもの。

だからこそ、エミリーがやっと自分の問題を解決しようと動き出す姿を、心から祝福したい気持ちになるのだ。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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