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そして、独立するにあたっては世代交代をしたほうがいいということで、当時日体協およびJOCの要職に就かれていた青木半治さん(早稲田大学競走部出身で戦前に砲丸投げ選手として活躍。JOC総務主事、日本陸上競技連盟会長、日体協会長などを歴任。1968年メキシコシティーオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックでは日本選手団団長を務めた)や柴田勝治さん(日本大学ボクシング部出身。1952年ヘルシンキオリンピックではボクシング日本代表監督を務めた。その後、JOC総務主事や日本ボクシング連盟、アジアボクシング連盟の会長を歴任)、藤田明さん(早稲田大学水泳部出身。日本が水球で初めて出場した1932年ロサンゼルスオリンピックでは、コーチ兼主将として出場。日本水泳連盟会長、日体協理事、JOC常任委員などを歴任)らから私に「我々は日体協に残ってバックアップするけれども、新しいJOCからは身を引き、君に任せる。だから、しっかりと財団法人を設立してくれ」という話があったんです。


左:青木半治氏 右:松平康隆氏

それで、私が独立したJOCの初代会長を務めることになりました。まず私が要望したのは、JOCの役員をアスリート出身者に務めてもらうことで、具体的な人選はすべて青木さんと柴田さんにお任せいたしました。これは良かったと思います。JOCの内部の人間ではなく、お二人のように外部の方のほうが、利害関係を考えずに公正な視点で選べますからね。

それで選ばれたのが、バレーボールの松平康隆さん(慶應義塾大学出身。全日本男子バレーボール監督として、1968年メキシコシティーオリンピックで銀メダル、1972年ミュンヘンオリンピックで金メダルに導く)、水泳の古橋廣之進さん(日本大学出身。何度も世界新記録を樹立するなど、戦後の日本水泳界の大エースとして活躍。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた。日本水泳連盟会長、JOC会長などを歴任)、レスリングの笹原正三さん(中央大学出身。1956年メルボルンオリンピックではレスリング・フリースタイル62kg級で金メダルを獲得。日本レスリング協会会長、国際レスリング連盟副会長、JOC副会長などを歴任)ら15人のメンバーでした。


初代日本オリンピック委員会会長に就任(1989年)左は古橋廣之進氏、右は岡野俊一郎氏

──堤さんは、1977年に日体協の理事に就任し、1983年から1990年までは副会長を務められました。日体協に関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

ある日、当時日体協の専務理事だった飯沢重一さんが河野先生の言伝で私の元へ来られまして、「どうしてもあなたに日体協の理事をやってほしい」と言われたんです。その理由を聞くと、「日体協は破産寸前で、どうにもならない状態です」と言うんです。聞けば、政府からの予算で選手強化や大会派遣などは賄われているけれども、事務的なことなど協会を運営するための費用は予算では拠出できず、困り果てていると。そこで私に「日体協の経営再生をお願いしたい」というお話でした。

しかし、実際に中に入ってわかったことですが、日体協には外部から予算をもってくる機能がなく、私の会社から出すことも、財閥組織から寄付を募ることも不可能な状態だったんです。そこでどうしようかといろいろと調べてみたところ、経営再生の道は意外にも簡単なところにありました。当時、日体協は各地域にスポーツ施設を持っていたんです。それをすべて各都道県に無償で寄付することにしまして、多額の固定資産税を支払わずに済むようにしたところ、早急に経営状態は改善されました。その件で、みなさんからの信頼を得ることができまして、副会長に就任することになったんです。そしてそれが、JOC独立の際に、青木さんや柴田さんが、私を会長に推してくれた理由でもありました。経営を再建した私なら日体協の人たちも説得し、スムーズにJOCが独立できるだろうということだったんです。

私にとって運が良かったのは、当時の文部大臣(現・文部科学大臣)が、私が親しくしていた西岡武夫さんだったことでした。私が直接西岡さんにJOCの独立について何かお願いをしたわけではなかったのですが、西岡さんのほうから「文部省からきちんと独立の許可を出します」というお話がありました。ご理解のあった西岡さんが文部大臣だったからこそ、日体協からの独立がスムーズに進みました。

聞き手=佐野慎輔  文=斉藤寿子  写真=フォート・キシモト  取材日=2020年1月31日

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