ビジネス

2020.10.08

お金は人の助け合いをつなぐメディア

Watchara Ritjan / Shutterstock.com


パソコンはポストお金の発想から


またお金はそれ自身の独自の力学を持つ。貨幣の独占的な蓄積が金融資本を生み出し、それが投機のために使われ、市場の変動による差益が新たな価値を生むマネーゲームが過熱すると、お金によるお金の再生産という自己矛盾のようなサイクルが実体経済に先立って暴走し始める。

もともと近代以前のキリスト教では、お金を貸すことで利子という利益が発生することを認めず、シェークスピアのベニスの商人などでも高利貸しが批判されていたが、それが資本主義の社会では当たり前になった。

そして本来は人間同士がより効率よく助け合う手段であったはずの貨幣が、今度はそれ自身が目的となってしまい、貨幣の価値が先に決められて人間を支配するようになる。

特に1960年代のヒッピー世代は、こうした資本主義経済の持つ非人間的な側面を嫌悪する風潮が強く、お金を介することが人間をダメにすると「無金経済」を主張する人も現れた。

フレッド・ムーアは大学でベトナム戦争反対の初のハンガーストライキをした学生として全米で注目された人だが、その後はお金が諸悪の根源だと主張していろいろなコミュニティー運動や政治活動を支援していた。そしてスチュアート・ブランドが「ホール・アース・カタログ」で儲けたお金を読者に配るイベントを行ったところ、「それは人々を結び付ける資金にすべきだ」と主張して、全額を預かることになってしまった。


フレッド・ムーア(Photo By Duane Howell/The Denver Post via Getty Images)

結局そのお金は政治運動に使うべきだと主張する仲間に取り上げられ、それが住民にコンピューター教育をする地域センターに使われ、そこを起点にホーム・ブルー・コンピューター・クラブなどのアマチュアのコンピューター作りを支援する活動が始まり、ひいてはそこで活躍していた二人のスティーブによるアップルの設立などにつながっていった。

パソコンは最初ホビイストの電子工作に過ぎなかったが、これは権力の象徴のような高額な大型コンピューターに対抗して、個人が手軽に情報を発信する力を持ちたいという想いから始まっており、その裏には、お金ですべてを動かすのではなく、お金のない個人の知恵をコンピューターでつないで社会に貢献する思想が息づいていたのだ。

その精神は、情報やアイデアは皆で共用するものだというハッカーたちの思想に引き継がれ、フリーソフトやオープンソース運動などを通して花開いている。

ブランドは「情報はタダになりたがっている」と言ったが、まさにコンピューターは個人の手に渡ることで、言葉やアイデアとしての情報を解き放って行ったのだ。

結局、お金とは何なのか? 資本主義世界の万能マシンに見えるお金そのものより、まずそれが万能に見えてしまうことを可能にする、前提を理解することが肝要なのではないか。

仮にロビンソンクルーソーが巨額の紙幣や宝石を持っていていたとしても虚しいだけで、今日食べるものを、自分の持ち物とすぐ交換してくれる相手を見つけることのほうが大事だろう。それを可能にしてくれるのは他人だ。人間のいない世界でお金に意味はないし、お金はもともと他人に助けてもらうことを保証するためのものだと考えたほうが、お金の本質が良く見えてくるのではないか。

われわれが現在お金だと感じている手で触れられる貨幣は、ネット時代には電子化されて徐々に消えていき、ただの数値だけが並ぶ世界がやってくるだろう。しかしその額や取引は抽象的なゲームではなく、その周りにいる人間の欲望やニーズを反映した影のような存在だ。

その存在の正当性は過去には国家が保証してきたが、これからは利用者同士がお互いに保証しあうブロックチェーンのようなテクノロジーが使われるようになり、不公平が生じたり機会均等性が失われないような、全体の調和を自動的に調整するようなシステムが工夫されていくだろう。

人間は自分の生存のための手段としていろいろな道具を作ってきたが、その中で最高の発明は言葉と、それをより遠くに正確に伝える手段としてのメディアだろう。お金はこうした人間の助け合うメディアの一種だと考え、手段におぼれずに本来の目的を再確認することこそ求められるのではないか。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
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文=服部 桂

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