高田賢三さん逝去に追悼の声、LVMH会長らが贈った言葉

高田賢三(Edward Berthelot / by GC Images)


そして、他のデザイナーにスケッチを売り歩いた後、パリでブティックを立ち上げ、1976年にニューヨークで「ケンゾー」にブランド名を改めた。高田は彼の初期のスタイルを象徴する花柄や着物などの要素を、「日本の芸術における自然の強い存在感」を表したものだと、FTの取材に話している。

高田はその後、1983年にケンゾーのメンズコレクションを立ち上げ、1988年にはフレグランス・ラインを発表した。そして、1990年にパートナーのグザビエ・デ・カステラが死去した後、1993年にLVMHに事業を売却した。

「私は様々な理由から会社を売ることを決めた。当時のファッション業界はより商業的になりつつあった」と彼はFTの取材に語っていた。1999年にファッション界から引退した高田は、その後も単発のプロジェクトなどで仕事を続けていた。


2016年にはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受勲(getty Images)

スーパーモデルのナオミ・キャンベルはインスタグラムで「あなたの死の報せを聞いてとても悲しい。あなたの笑顔と謙虚な態度をずっと覚えている。あなたが私たち全員に教えてくれた前向きな力を」とコメントした。

ケリングのフランソワ=アンリ・ピノー会長兼CEOは、高田について次のように述べた。「高田はパリをファッションの都に育て上げたクリエイターの一人だ。彼のファッションは彼そのものであり、文化の交差点の中心に立ち、創造的で、喜びに満ちていて寛大だった」

高田の死はフランスで新型コロナウイルスの感染が再拡大し、パリでは再びロックダウン措置が検討される中で、ファッションウィークが開催されたタイミングと重なった。

編集=上田裕資

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