キャリア・教育

2020.10.02 09:00

誇れる武器を一つだけ携えて。あとは流れに身をまかせる、そんな人生も悪くない


入社後は、日々の放送が事故なく運行できるよう管理する放送運営局で3年働いた後、マーケティング部へ異動することに。当時マーケティング部を所管していた編成局長に「お前はまだ若手だし、次は制作現場だろう」と言われていたので、正直驚きました。

後に、異動前に提出したキャリアプランの自己申告シートを読み返すと、書かれていたのは「どうやって視聴率を上げていくか」といった内容ばかり。

大学時代、社会心理学を専攻し、インターネット調査会社でアルバイトをしていたこともあり、自然とその領域を志望していたようです。ちょうど、マーケティング部が若手育成に力をいれようとしていた時期と重なったことも恵まれていました。

マーケティング部での仕事は、わかりやすく言えば、“読売テレビの視聴率を上げること”。視聴率をはじめとした各種データをもとに「どのターゲットに向けたコンテンツを拡充すれば勝てるか」と戦略を練ったり、視聴者が離れないような構成を組むよう提案したりしていました。

僕がマーケティング部に配属された2008年ごろ、読売テレビは関西地区での年間視聴率が最下位。けれど、日本テレビの新番組が早期に人気を掴んだことや地道なリサーチと施策への反映が実って、2014年にはトップになれたんです。

この経験から、僕の中に「マーケティングはどんなことにでも使えるのではないか」という仮説が生まれました。それからも視聴率首位をキープできたものの、トップへ上がっていくプロセスにやりがいを感じていたので、「もうやりきったかな」という思いがあったのも事実でした。

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自分が「何者」かを伝えることから、“顔を売らないと仕事は来ない”


2017年夏のある日、飲み会の最中に友人が「四條畷市が面白そうな募集をしてるぞ」という情報を仕入れてきました。四條畷市といえば、2017年1月に就任した東修平市長が全国最年少市長として話題になった市。

副市長とマーケティング人材を民間から募集するというのです。

「マーケティングという概念がまだまだ乏しい自治体でチャレンジできることで、自分がトップランナーになれる可能性もあるのかも......」

そんな魅力を感じたんです。気付けば、僕は飲み会の片隅でエントリーをしていました。「え!躊躇なく応募したの?」と言われてしまいそうですが、受かるか落ちるかもわからなかったので。

挑戦する価値があると判断してまずはエントリーしました。それに、僕がいないと回らない仕事なんてどこにも無い。そんな考えを持っていたから、自分の気持ちを大事にできたのかもしれません。

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文=倉本祐美加 写真=岡本直子

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