かつて渋谷は「音楽が循環する街」だった 変わりゆく街と音色に思いを馳せて

かつて渋谷は音楽が循環する街だった(Photo by Unsplash)

ここ数年で渋谷は見知らぬ街になってしまった。

駅に直結した渋谷スクランブルスクエアをはじめ、渋谷川沿いの渋谷ストリーム、そして区立公園を屋上に移設する荒技によって誕生した宮下パークと、ランドマーク的な建物が街の景色を塗り替えるように次々誕生しているからだ。渋谷PARCOは完全リニューアル、東急プラザは渋谷フクラスに生まれ変わった。

こうしたオープン・ラッシュは、2020年に開催予定だった東京オリンピック・パラリピックが生みだすインバウンド需要を見込んでのものだった。でももっと世代が上の人なら、「オリンピックによって渋谷が変わったのは2度目だ」と言うかもしれない。

かつて日本のロックシーンの中心地であった渋谷の街の歴史を、プレイリストと共に──。




坂に囲まれた渋谷は、かつて商業地には不向きな場所とされていた。こうした評価を一変させたのが1964年の東京オリンピックだったのだ。旧日本陸軍の練兵場を押収して作られた米軍の住宅地「ワシントンハイツ」は日本に返還されて選手村となり、イベントが終わると広大な代々木公園となった。渋谷公会堂やNHKホールも東京オリンピックの副産物である。

ロックの街・渋谷は、道玄坂から始まった


1960年代後半には道玄坂周辺が人気スポットとなっていく。高級住宅街の松濤を背負う場所に誕生した東急百貨店本店は、坂を上がり下がりする行為を苦行からショッピングを楽しむ行為へと変えた。

楽器店とレコード店、スタジオを併設したヤマハ渋谷店は、クラシックの殿堂だった銀座店と差別化を図るためにロックに力を注ぎ、当時としては珍しい輸入盤の新譜を扱った。これと呼応するかのように道玄坂側の商店街「しぶや百軒店」で営業していたジャズ喫茶はロック喫茶へと模様変えしていった。

そんな中で中心になったのが1969年に開業した老舗ロック喫茶「BYG」である。ライブハウスでもあったこの店は、ブッキングを担当した音楽集団「風都市」がマネージメントしていた「はっぴいえんど」や「はちみつぱい」といったバンドのホームグラウンドとなった。前者には大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂が在籍し、鈴木慶一や岡田徹を擁した後者はムーンライダースへと発展する。
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文=長谷川町蔵

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