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2020.10.12 08:00

夜逃げ、火事、脳梗塞。ダイソー矢野博丈の人生と成功


矢野:講演でお話すると「どん底からどうやって抜け出すんですか」という質問をされることが多いんですが、僕は「仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせるんです。それで逃げ切ります」と答えています。僕は艱難辛苦だったおかげで、3つの自分の哲学を持てたんですね。

1つ目が「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」、2つ目は「仕方がない、仕方がない」。信長でさえ、明智光秀に襲われたとき「是非もない」、今の言葉でいう「仕方がない」と言って死んでいったんですから、我々のような凡人は「仕方がない」という言葉が当てはまって当然なんです。僕はずっと「自分には能力と運がないから仕方ないんだ」と言い聞かせて逃げてきました。3つ目が「ありがとう、感謝します」。この3つの言葉で大きくなれたような気がします。

最終的に幸せになるための根本にあるのは「感謝」ですね。僕、身体だけは健康だったんですが、2年前に脳梗塞になったんですよ。4日間連続で東京と広島間を出張して、4日間とも東京に宿泊せず広島に帰って飲みに行って……要は無茶したんですよね。秘書が「もう止めてください」と言っても「僕は元気なんだ」と言って無茶を止めなかったんです。

本当は親にいただいた健康な身体なのに、「僕は元気だ」と威張ったために、5日目にバタンと倒れたんですよ。美人でもお金持ちでもスポーツ選手でも、それを有り難いと思うか、自分の力だと思うかでは価値観が全然違いますよね。最終的に幸せになるのは、感謝を持った人。「ありがとう、感謝」、これしかない大きな言葉だと思います。

僕がここまでやってこれたのは、「恵まれない幸せ」「仕方がない、仕方がない」「ありがとう、ありがとう、ありがとう」の3つの言葉のおかげです。


(写真提供:日本経営合理化協会)

放火に遭ったから、今がある


谷本:先ほど9回も転職され、夜逃げも経験し火事にも遭われたとおっしゃっていましたが、グローバルに進出する際のエピソードとしては最高にドラマティックだと思うんです。でもよくよく伺ってみると、矢野さんのお父様もお兄様もお医者様で、一見すごく恵まれた環境で育ってこられていますよね。就職してからのご苦労はあったかもしれませんが、ご自身の幼少期についてはどのようにお考えですか?

矢野:火事について話しますと、今は15世代に1回位の確率ですが、50年ほど前までは7世代に1回くらい火事が起きていたんですよ。昔はコタツや風呂の薪場からしょっちゅう火が出ていました。僕が遭ったのは放火でしたが、7世代に1回の確率なのに、何で僕に当たるんだと思いましたね。当時はこの商売で何とか食える目処がようやくついた頃です。トラックも商品も家も全部焼けました。

それまでは、いわゆる放蕩息子でした。でも火事に遭って、お金は100円でも貯金しようと思うようになりました。お金の大切さを火事で学んだんですね。

当時は銀行の金利が6.3%と高く、それでもなかなか貸してくれなかったんですが、火事になったおかげでお金を大切にするようになり、銀行から見たら自分の商品を大切にするやつだと思ってもらい、貸してもらえるようになった。神様から見れば、この子はお金を大切にする子と可愛がってもらったと思っています。火事のおかげでお金に対する感謝、有り難みを持つようになって、運命が好転したんです。
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文=筒井智子

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