ビジネス

2020.10.12 08:00

夜逃げ、火事、脳梗塞。ダイソー矢野博丈の人生と成功


矢野:会社が潰れたら自殺しようと思っていましたから。30代の頃は会社が潰れたら、秋田か北海道のひなびた温泉に妻と子どもを連れて行って、妻が仲居頭で僕が風呂掃除とお客さんの背中を流す係をやろうなんて思っていたんですが、45歳くらいになってくると扱う額が大きくなりすぎて、もう死ぬしかないなと。ゴルフに行っても「あの松の木、首を吊りやすそうだな」って思うほどでした。

メディアから取材を受ける際も「夢は何ですか?」と聞かれたら、いつも「畳の上で死にたいですね」と答えていました。どういうことか聞かれて「いや、どうせ自殺でしょうけど、できれば畳の上で死にたい。それが夢です」って。


(写真提供:日本経営合理化協会)

谷本:矢野会長と初めてお会いしたとき、このお話を伺って驚愕しました。初めてお会いしたのは世界ナンバーワンのアントレプレナーが選ばれる表彰制度、「EY World Entrepreneur Of The Year(TM)」。毎年モナコで開催されており、私は僭越ながら日本代表を決める審査員を務めさせていただいています。

モナコでもご一緒させていただいたんですが、各国の審査員や海外の起業家も矢野さんやダイソーという企業に非常に興味を持たれているんですね。各国の皆さんは自信に溢れる起業家ばかりの中、矢野さんはこんなに成功されているのに「いや、運が良かっただけです」「仕方なくやったんです」と非常に謙虚で、それがすごく面白いと皆さんおっしゃるんです。本当に自信がないわけではないと思いますが、そういう謙虚な発言の根幹にある哲学が素晴らしいですよね。

矢野さんがおっしゃっていた大きなメッセージは3つあって、1つが「運が大事」「徳を積むことが大事」「恵まれない幸せもある」。その3つによって矢野さんという経営者が生まれたとおっしゃっていました。一大産業になった今でも、その精神はお持ちなんですか?

矢野:人生や会社というのは、常に崖っぷちを歩いているんですよ。何百年も続いた徳川幕府やローマ帝国ですら潰れるんですから。僕は安心した瞬間に退化が始まると思っているんです。今は潰れても会社再生法がありますが、我々の時代は会社が潰れたら社長は死んで、借金を生命保険で払うしか選択肢がなかったので、当時は僕のような考えが当たり前でした。

僕は学校を出てから10年で職を9回変えて、夜逃げして、火事に遭って、会社が倒産するから自殺するしかない、みたいな体験をしてきたので、学校を出た瞬間に艱難辛苦(かんなんしんく)という背後霊に取り憑かれたんだと思っています。艱難辛苦にがっちり羽交い締めされて、良いことなんて1つもなかった。頑張れる元気な身体があるだけ有り難いと思えたのが「恵まれない幸せ」という意味です。

谷本:もう1つ、海外の起業家や審査員の方々が興味を持った「仕方ない」という言葉。普通はネガティブな言葉だと思うじゃないですか。翻訳するのが難しかったんですが、その「仕方ない」結果、どうしてこんな風に成功できたのか、皆さんすごく興味をお持ちでした。何が「仕方ない」のか、お話しいただけますか。
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文=筒井智子

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