「娘を救いたい」父の焦り、再審を引き受けた弁護士の覚悟|#供述弱者を知る

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なぜ輝男さんはそのようなことを言ったのか。一言で言えば、1人娘を無実の罪で獄にとらわれた父親としての、焦りだった。

2017年が明けたこの頃、娘の満期出所まで残り8カ月。「それまでに、何としても無罪を証明し、娘を救い出してやりたいんですわ」。それが輝男さんの口癖だった。その一念ですでに12年の歳月を過ごしてきた父親としては、何も手を打たないわけにはいかなかった。

焦りを募らせる輝男さんと弁護団の方針にすれ違いが生じたことをきっかけに、弁護団の解任に動くとともに、それに納得しない娘を折れさせるために「措置入院させる」と言ってしまったのだ。

一審は最悪の結末に 積年の〝怨念〟


そこまでして輝男さんが、弁護団の解任を押し通したかった理由とは何なのか。

その背景には、積もりに積もった積年の〝怨念〟のようなものがあった。井戸体制の弁護団とはまったく関係のないことなのだが、このとき、13年目に入った戦いで、輝男さんには警察に対する怒りとともに、2004年に逮捕された当初の弁護団に対し「裏切られた」という思いが胸の中で強く渦巻いていた。

逮捕されて間もないころ、取調官の刑事から「裁判での心証が良くなるから」と勧められ、納得できなかったが、弁護人にも背中を押され、遺族に謝罪に行かされた。法廷で無罪を主張する一方での謝罪は、かえって遺族の怒りを買うことになった。逆に、重罰を求める意見書が遺族から提出される結果になり、なおさら弁護団への不信感が増した。

確かに当初の弁護団は、死亡を発見した看護師による「呼吸器のチューブが外れていた」という虚偽供述に振り回されて、弁護方針が混乱したようだった。加えて、西山さんは裁判が始まるまで、弁護人より警察を信用してしまった。「殺人でも執行猶予はある」とA刑事に言われたことを信じ、面会で弁護人に「そんなことありえない」と言われても信用しなかった。それが弁護団の混乱に拍車をかけた面もある。

一審は最悪の結末となり、控訴、上告も棄却。いつしか輝男さんに「弁護団がひそかに警察、病院と同調し、初めから娘に責任を押し付ける意図が働いていたのではないか」とのあらぬ疑念が芽生えるまでになっていた。再審では、「あの苦い思いを味わいたくない」との思いが募り、意見が食い違えば「解任」も辞さず、という姿勢を崩さず、そのために離れていった弁護士もいた。

しかし、井戸さんに絶大な信頼を寄せている娘は当然、解任に納得するはずもない。「娘のため」と解任を急ぐ父親には、それが許せなかった。逮捕された13年前、親の声に耳を傾けず、刑事の言いなりになった当時と同じ愚を犯している、とも見えたのかもしれない。「措置入院」。その言葉がつい出てしまったのだ。

そもそも、措置入院とは、自傷他害のおそれがある精神障害者を都道府県知事(または政令指定都市の市長)が強制入院させる制度で、輝男さんが実行できることではない。それでも、西山さんは、過剰反応してしまった。過剰反応するわけがあった。
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文=秦融

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