挑戦する人と挑戦する企業をつなぐ、Forbes JAPAN 初の採用ブランディング

働き方改革を契機に、今、ダイバーシティ経営が注目されている。

多様性、平等、女性のエンパワーメント......多様な価値観を受け入れることが望まれる時代だ。

翻って、約30年前、時はバブル最盛期。日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭を記録したころ、社会は「企業戦士」をもてはやしていた。会社のためにがむしゃらに働くことが美とされていた。

セールスフォース・ドットコム 常務執行役員 支社営業統括本部長、荒谷英智も、かつては「企業戦士」の一人だった。「過酷だが、稼げる環境」を求め、荒谷は新卒で日本IBMに入社。11年にわたり、営業の最前線を駆け抜けた。

そんな彼が2001年、当時社員が10人程度だったセールスフォース・ドットコムへの転職を決意する。

そこから19年、セールスフォース・ドットコム日本法人と共に歩み続ける荒谷は同社の成長をどのように牽引し、そして躍動するメンバーたちいかに支え、見守り続けてきたのか。

「企業戦士」に憧れ、日本IBMへ。泥臭く営業した11年間


荒谷が新卒で日本IBMに入社したのは1990年4月。彼はがむしゃらに働ける、いわば戦場を求めていた。

「『とにかく忙しい、だからこそ圧倒的な実力がつく』という評判を聞き、応募しました。実際、入社してみると噂通り、『忙しくカッコよく働きたい』と考えていた当時の私にとっては最高の環境と言えましたね」

1年間の研修を経てビジネススキルと製品知識を身につけた荒谷は、中堅企業を担当する営業部隊へ配属。世田谷区の流通業を任され、毎日200件のテレアポを行なった。

「なぜそんなに架電できたのか?会話が続かず、すぐに電話を切られてしまっていたからですよ。件数はかけられる、ただ受注への距離は一向に縮まらない。自分の不甲斐なさを痛感した私は毎日、自身の営業を徹底的に振り返り、改善に努めることを繰り返しました」

努力が実り、徐々に顧客と会話ができるようになった荒谷。1件あたりの通話時間は延び、気づけば1日10件程度の架電でアポが取れるようになった。

当時は今のようにWeb会議ツールも地図アプリもない時代。アポをとると、地図帳をコピーした白黒のプリントに訪問先をマーカーで印をつけ、世田谷区を一日中歩き回っていた。

「気づいたら三軒茶屋から二子玉川までの約6kmを歩くことなど日常茶飯事でした。しかも、アポとアポの合間に飛び込み営業もしていたので、靴の消耗が激しく、2ヶ月に1回は新しい靴に買い換えていました。効率化されていない時代で、いかに効率よく仕事をするかを動きながら考えた。今となってはいい経験をさせてもらったと思います」

真冬の東京を“自転車”で駆け巡った、日本法人創成期


泥臭く足で稼ぐ営業を11年間続けた荒谷は主任に昇格、大手企業を任されるなど日本IBMの中で順調にキャリアを構築していた。

そんな彼に、ある日転機が訪れる。

先にセールスフォース・ドットコムに転職した上司から、「一緒に働こう」と声がかかったのだ。

「当時、日本IBMは2万5000人のいわば大手企業。一方で、セールスフォース・ドットコムの日本法人はたった10人ほどのベンチャー。結婚を決めたばかりだったので、相当悩みました。妻の両親を不安にさせてしまうと思ったのです」

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しかし、荒谷は転職を決意する。

「国内ではADSLが普及しはじめ、インターネットが本格的に広がっていった時期です。これを機に、さまざまなインターネットサービスが展開される兆しもあり、『いずれクラウドの時代がやってくる』と確信していました。ただ、まだCRMの概念も上陸していない時代、どれだけ普及するかは、正直未知数でした」

2001年、不安を抱えながらも設立2年目の日本法人の門を叩いた荒谷。役職は営業マネージャーだが当時の営業メンバーは2名。文字通りゼロから事業を立ち上げていくことになる。

そこで、打って出たのがパートナービジネス部隊の立ち上げ。

しかし当時のセールスフォース・ドットコムは現在とは異なり、いわば無名。パートナーになってもらえないかと打診しても、見向きもされなかったと振り返る。

「やっとパートナー様を見つけても、Salesforceの機能を覚えていただくのに時間がかかる時もありました。まずパートナー様にSalesforceの価値を理解していただくためにはお客様先を一緒に訪問することが大事だと思い、文字通り、なんでもやりました。

例えば真冬の凍えるような寒さの中、パートナー様と一緒に自転車で中小企業を何件も回り、わかっていただくまで説明する。こうやって、真摯にお客様やパートナー様と向き合った甲斐もあり少しずつ顧客が増え、紹介でパートナー様も増えていきました」

マーク・ベニオフとパーカー・ハリスへの「直談判」


パートナーの拡大が徐々に軌道に乗り、顧客を増やしていった荒谷たちだが、新たな課題に直面する。

創業時からのコアバリューであるカスタマーサクセス(お客様の成功)の実現が疎かになり、解約数が増えていったのだ。すぐさま既存顧客専任の部署を立ち上げ、お客様の抱える課題を理解し、解決の支援ができるような体制を整えた。

その後順調に成長を続けていたが、2004年、当時の社長より攻めのスタンスを忘れかけていた荒谷に喝が入った。

「『たった30人の会社で、新規開拓をしないでどうするんだ。自分で大きな案件を受注してもっと組織を大きくするんだ』、と厳しいお叱り言葉を受けました。ハッとしました。たしかに、その通りだったのです」

荒谷は営業部長の肩書きを自ら“外し”、再び新規開拓に奔走することになった。持ち前の営業力で順調に新規顧客を獲得するも、さまざまなトラブルに見舞われたと当時を振り返る。

「2005年頃はシステムの不具合が多く、お客様にご迷惑をおかけしてしまうことが少なくありませんでした。オペレーションの拠点がアメリカにしかなかったのでどうすることもできず、謝罪するしかありませんでした」

怒りを露わにしながらも期待をかけてくれる顧客に応えるべく、荒谷たちは行動にでる。アメリカに渡り、創業者マーク・ベニオフとパーカー・ハリスの二人に顧客の声を伝え、改善を働きかけたのだ。

「二人はセールスフォース・ドットコムの『信頼』というコアバリューに基づいて、早速手を打ってくれました。システムの性能やセキュリティに関する情報を開示する『trust.salesforce.com』というサイトを構築し、顧客にシステムの稼働状況をオープンにする仕組みをつくってくれました。これはクラウドベンダーの中でも初の取り組みで、お客様は不具合のあったシステムがいつ復旧するのか確認できるようになりました」

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次なるミッションは地域社会の発展、日本経済の底上げ


名実ともに“信頼”のコアバリューの実現を目指すセールスフォース・ドットコム。荒谷は今、地方の顧客をメインに担当するリージョンビジネスの統括を担っている。

「現在、お客様の80〜85%は大都市にいらっしゃるるのですが、地方のお客様のデジタル変革ニーズも高まっています。例えば、『業種業態を超えたコラボレーションでイノベーションを起こそう』という動きなどが各地で出てきています。

地方のお客様にこそ、テクノロジーの力をもっと活用していただきたいですし、顧客中心のビジネスへの変革を共に実現していきたいと考えています」

セールスフォース・ドットコムではカスタマーサクセスのバリューをより多くのお客様に届けるために『Trailblazer(先駆者)Community』と呼ばれるユーザー会を全国各地で運営。各コミュニティの中で「社内にどのようにSalesforceの活用を推進していったか」といった情報共有ができる場を設けている。

「ユーザー会を開催したことで、地域とのつながりは深くなりました。特に今年私の部門で企画したSalesforceに対して熱い想いを持っているTrailblazerを各県から選抜して開催する『Trailblazer甲子園』を始めてからは、熱狂的なユーザー様が増えた印象です。また、営業戦略や経営管理に関するセミナーも開催しており業務に役立つとの声もいただいています」

全国各地でユーザー会を開催することで、セールスフォース・ドットコムのコアバリューやカルチャーが徐々に地域の企業にも浸透し、発展する企業も増えてきたと荒谷は言う。

「地方にいらっしゃるお客様がSalesforceを活用して発展すれば日本経済の底上げにつながると私は思っています。これからも地方のお客様のデジタル変革を色々な面から支援していきたいです」

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