相手を名前で呼びたい。インドの階層社会に分断された2人を結びつけたもの

『あなたの名前を呼べたなら』(ロヘナ・ゲラ監督、2018)(c) Inkpot Films

ネットで時々話題になるのが、配偶者を指す時の言葉だ。

自分の配偶者を指す場合は「夫」「妻」あるいは「主人」「家内」が一般的だろうが、くだけた場合は「(うちの)嫁」「(うちの)旦那」。ひと昔前だと「亭主」「女房」がよく使われた。相手の配偶者に対しては、「ご主人」「旦那さん」「奥さん」が圧倒的に多いだろうか。

しかし、ジェンダー的にそういう呼び方はどうなのかという意見も最近目にする。「(ご)主人」や「旦那(さん)」は妻の上位に君臨しているみたいだし、「家内」「奥さん」は「家の奥にひっこんでる人」のイメージでよろしくない、「嫁」は家父長制を連想させると。

それで、相手の配偶者は「配偶者の方」「パートナーの方」と呼ぶのがいいとか、「夫さん」「妻さん」はどうかなど、いろいろな意見がある。自分の配偶者や事実上の夫・妻を「パートナー」と呼ぶ人も時々見かけるが、総じてこれという決め手はないようだ。形式的で空疎な名称に過ぎないのか、「名は体を表す」のか、考え出すといろいろ悩ましい。

今回取り上げるのは、『あなたの名前を呼べたなら』(ロヘナ・ゲラ監督、2018)。インド社会のさまざまな圧力を背景に、身分違いの2人の間に芽生えていく恋愛感情を繊細に描いた佳作だ。

ドラマの中では最後の一回を除いて、ヒロインから相手の男性に対しての呼びかけが「旦那様」であり、原題も『Sir』(旦那様)。邦題は、ヒロインの気持ちを少し説明的に代弁したものと言えよう。

2018年カンヌ映画祭批評家週間で上映され、GAN基金賞を受賞。ムンバイ出身、スタンフォード大学で学びヨーロッパでも活動する女性監督の、複眼的な視点が光っている。

全く違う2人の共通点


里帰りしていた小さな郷里の村から、慌ただしく大都市ムンバイへと戻っていくラトナ(ティロタマ・ショーム)は、超高級マンションに独り住まいの建築会社の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)のメイド。彼女が急遽帰ったのは、結婚式と新婚旅行に出かけていたはずのアシュヴィンが、相手の浮気発覚で結婚取りやめとなり帰宅したからだ。

落ち着いたグリーンの壁に現代絵画が飾られ、端正な調度品が並ぶ広々したリビングで、一人失意と喪失感に苛まれる「旦那様」を気遣いながら、ラトナはかいがいしく働く。
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文=大野 左紀子

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