相手を名前で呼びたい。インドの階層社会に分断された2人を結びつけたもの

『あなたの名前を呼べたなら』(ロヘナ・ゲラ監督、2018)(c) Inkpot Films


一方、アシュヴィンは、ラトナの控えめな優しさに癒され、前向きな態度に刺激されて、自分もだんだんと落ち着きを取り戻していく。

ホームパーティで女性客の服に飲み物をこぼしてしまったラトナを庇ったり、ようやく縫った赤いドレスを彼女がこっそり試着しているのをほほえましく眺めたりと、頑張っている身近な女性を応援する気持ちが、次第に彼自身の心の再生につながっている。

覚えたての裁縫の腕をふるってラトナがアシュヴィンのために作った、表が紺地の細かい花柄で裏地がチェックのシャツの、なんとも可愛いらしいこと。それは、都会的に洗練されたアシュヴィンのセンスとはかなり違ったものだっただろう。

しかし、ファッション雑誌を贈ってくれたラシュヴィンへの感謝と同時に、ほのかな愛情のしるしでもあるそのシャツを彼が笑顔で受け取り、さっそく着用した時、階層による断絶は実質的に超えられていたとも言える。

学資支援していた妹が突然結婚することになり失望感を覚えつつも、祝宴のため帰郷したラトナの留守中、アシュヴィンの「寂しい」という感情が「恋しい」という気持ちに変化していったのは自然なことだ。


ラトナとアシュヴィン (c) Inkpot Films

帰ってきたラトナが一番欲しいであろう物をプレゼントし、愛情を確認しようとするアシュヴィンと、気持ちは同じでも出身階層を超えることの重大さに引いてしまうラトナ。自分がどんな視線に晒されるかを、彼女はこれまでの経験から熟知している。

「旦那様はやめてくれ」というラトヴィンの言葉に応えて、相手を名前で呼びたい。その一見簡単そうで、ラトナにとっては非常に難しい一言をついに発する瞬間までの、2人の苦悩と緊張に満ちた展開は、階層差別がいかに社会に深く根付くものかを物語っているようだ。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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