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Photo by Michael Kovac/Getty Images


最高裁判事となったギンズバーグは、入学を男性のみに限定したバージニア州立軍人養成大学(VMI)の規則を違憲とした判決の多数意見を執筆した。VMIは、女性が同校での訓練に耐えられないと主張し、女性向けに負荷を抑えた軍大学を別に設立することに同意していた。

だがギンズバーグは多数意見で、「民兵を養成するという目標とVMIの実践方法はいずれも、女性にとって生得的に不適当なものではない。(…)男女間の『生得的な違い』はたたえるべきものであり、いずれかの性別に属する人への侮辱や、個人の機会制約の根拠とはならない」と指摘した。

男女平等に対する姿勢は、家庭にもみられた。ギンズバーグと夫のマーティンは、1950年代にはほぼ考えられなかったほど平等な夫婦関係を築いていた。ギンズバーグは、コーネル大学の学部生だった頃にブラインドデートでマーティンと出会った。2人は1954年に結婚。マーティンは育児と家事を分担し、料理の大部分を引き受けていたとされている。

ジミー・カーター大統領がギンズバーグをコロンビア特別地区連邦巡回控訴裁判所の判事に任命すると、マーティンはニューヨークでの高給な弁護士のキャリアを捨て、夫婦そろって首都ワシントンに移り住んだ。平等な結婚生活がなければ、ギンズバーグはこれほどの功績を残せなかっただろう。

米国人は皆、ギンズバーグの男女平等への貢献に感謝すべきだ。ギンズバーグは、残した功績だけでなく、その功績を収めた方法によって、人々の記憶に刻まれるだろう。彼女は不平等を目にし、それを半世紀以上かけて崩していった。決して諦めることなく闘い続け、その粘り強さと鋭い知性により、一目置かれる人物となった。

ギンズバーグが最期に残した無欲な遺言は、新たな大統領が就任するまで後任を選ばないでほしい、というものだった。この願いが成就することを期待したい。

編集=遠藤宗生

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