#供述弱者を知る


井戸弁護士の事務所のある滋賀県彦根市から和歌山刑務所までは、在来線と特急、タクシーを乗り継いで往復7時間かかる。多忙な中で、帰りの列車をさらに遅らせることになっても、西山さんの心の安定のために傾聴を優先させのだろう。思いやりのある人なのだな、という印象を強く持ったものだ。

後日、このことを井戸弁護士に聞くと「いや、美香さんとの面会は、とにかく彼女が言いたいことを一気に話すから、それを聞いてからでないと質問できず、どうしても長くなってしまうんです」と笑っていた。

西山美香さんと井戸弁護士
2020年3月31日、西山美香さん(左)の再審で無罪判決となり、支援者と共にバンザイする井戸謙一弁護士(右)=Forbes JAPAN撮影

裁判長から「マチ弁」となった井戸弁護士との出会い


ここで、井戸弁護士の経歴と、西山さんの主任弁護人を引き受けるまでのいきさつを振り返っておきたい。井戸弁護士もまた、支える会を立ち上げた中学時代の恩師、伊藤正一先生(72)ら5人の元教師とともに、西山さんを雪冤に導く上で欠かすことのできない役割を果たした一人だった。

井戸弁護士は1954年大阪府堺市生まれ。東京大教育学部4年の75年に現役で司法試験に合格し、卒業後の79年4月に神戸地裁に判事補として任官。金沢地裁では2006年3月、裁判長として、原発運転の差し止め請求を初めて認める判決を出した。東日本大震災で福島原発事故が起きる5年前のことだった。

32年間勤めた裁判官を辞めたのは2011年3月末。原発事故直後だが、すでに退官を決意しており、タイミングが重なったのも不思議な巡り合わせだった。

退官後は、かつて大津地裁彦根支部に勤務経験があったことから、彦根市内に事務所を構え、「町医者的な弁護士になって、よろず相談所のようなことをしてみるのもいいのではないか」と町の弁護士、「マチ弁」を志した。

実際、井戸弁護士の日常はそんな毎日だ。事務所では二男の拓哉さん(36)が事務員を務めているが、かかってくる電話に井戸さん本人が直接出ることも多い。弁護士事務所には、困りごとがあっても何をどう説明していいのかわからない状況で電話を掛けてくる人が少なくない。取材中、対応に苦慮しながら、電話の相手に丁寧に説明している場面を何度も見た。

その一方で、退官直前に起きた福島原発事故で広がる反原発のうねりは、民間に舞い降りてきた原発訴訟の〝賢人〟を放ってはおかなかった。

関西電力大飯原発(福井県)など若狭湾にある原発運転差し止め請求訴訟の弁護団長だった吉原稔弁護士に請われて弁護団に名を連ねることに。当初は「裁判官時代の経験を使って原発訴訟の弁護士をやるのは何だかアンフェアな気がして、最初は断っていた」という。その後、病に倒れた吉原弁護士を継いで弁護団長に就くと、新たな「公務」で多忙を極めるようになった。

事務所に西山さんの父・輝男さんが訪ねてきたのは、そんな折だった。

第1次再審請求は相次ぎ却下され、輝男さんは第2次に向けて動き始めた。だが、引き受けてくれる弁護士が見つからず、ついには滋賀県の弁護士会の名簿で「あ行」から順番に電話をかけていった。何人かに断られ、なんとか「話を聞くだけになるかもしれませんが」と面会に応じてくれたのが井戸弁護士だった。西山さんの母・令子さんが振り返る。

「主人はいろんな弁護士さんにお願いしては断られ、困り果てていたのですが、名簿順に電話したおかげで井戸先生と巡り会える事ができたのです。なんと幸運なことかと、いま振り返っても巡り合わせの偶然に感謝しています」

それが、2012年5月のこと。西山さんの運命の大きな転換点だった。2017年、私たちが獄中鑑定に動きだした時期に起きた、西山さんの自殺未遂という、再審への絶体絶命の危機を救ったのも、やはり井戸弁護士だった。


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文=秦融

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