「経済をとるかコロナ対策をとるか」の二択が誤っている理由

Photo by Ron Wurzer/Getty Images

米外交誌フォーリン・ポリシーが掲載した論評記事「The great pause was an economic revolution(新型コロナウイルスによる経済停止は経済革命だった)』では、筆者も最近取り上げた問題について触れている。その問題とは、新型ウイルスの感染拡大抑止の必要性と、経済を動かし続ける必要性の二者択一を迫るという誤った考え方だ。

この2つは根本的に異なる問題だ。一方は生物学の話で、ウイルスの人体への影響、感染経路、致死率、ワクチン開発技術といった問題。もう一方は経済の話で、これは人が生み出した制御可能な概念であり、必要に応じて停止したり、新たな合意やルールに基づいて再定義したりできる。

経済は制御不可で、人の手ではどうすることもできない、などという考え方は問題であり、しっかりと理論立てて反論する必要がある。私たちはここまで経済活動を停止できており、それ以外にも最弱者を守る方法や、流行を最終的に収束させるためのワクチンや治療方法が開発される間の時間稼ぎなどあらゆるものを考慮した手段を講じられるはずだ。

これを受け入れないかぎり、私たちは特権階級が自らを隔離して身を守れる一方で、残りの人々は生活のために危険に身をさらさなければいけないという罠にはまったままとなる。これはどんな面から見ても筋が通らない。

もちろん、経済を改変するには、全レベルでの幅広いコンセンサスが必要だが、このような国際合意が結べるような信頼関係が各国間にあるかどうか疑問に思う人も多いだろう。各国はこれまでのところ他国の経験から学ぼうとせず、各自で解決策を模索し続けている。互いに協力し合って最短かつ最高のワクチンを一つ開発するのではなく、210の研究チームを結成して210種類のワクチンを開発する方が良いと考えているのだ。こんな気の滅入るような現実を目の当たりにすると、人類という種を救うのには手遅れであり、私たちは生き残るに値しないほど愚かだとすら思える。

景気後退の影響を緩和する唯一の策は緊縮だという作り話を信じるのは、一人で遊ぶゲームでいかさまをするようなものだ。経済とは、人間の構築物であり、私たちが思うように修正、変更、再定義、再構築ができる。これを完全に理解しないかぎり、今回だけでなく将来の問題にも対処する方法が見出せないだろう。

編集=遠藤宗生

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