結局、西村はアメリカで18歳から11年間暮らした。メイクアップアーティストとしてミス・ユニバース世界大会やミスUSAの出場者、ハリウッド女優やモデルのメイクも手がけ、第一線で働いてきた。
「いつか森理世さんのメイクをしたい」とノートに書いていた夢も、昨年、ついに叶った。アメリカで開かれたミス・ユニバース世界大会の審査員として参加していた森のメイクを担当したのだ。
「2008年ごろからの夢だったのでとても緊張しましたが、気さくで美しい人でした」
「ある悩み」を突破し、僧侶の道へ
西村は、2015年には浄土宗の僧侶となるために一時帰国したが、昨年には活動の拠点を日本に移している。日本ではLGBTQを巡る環境の改善も徐々に進んではいるが、いまだに偏見も少なくない。そんな日本になぜ帰ろうと思ったのだろうか。西村に聞くと、こう答えた。
「アメリカには11年間住んで、たくさんのことを学ばせてもらいましたが、ある時『アメリカにまだいたいの?』と自問自答したら、心の声が聞こえました。アメリカでメイクの技術はとことん学んだけれど、日本では活動したことがほぼなかったので『私がメイクを教えることで性差別に悩む人たちに何かできるかもしれない。私が人の役に立てるかもしれない』。そう感じました」
実は僧侶の修行をする際も「同性愛者でメイクもする私が、果たしてお坊さんになっていいのか」と悩んでいたという。迷いが生じると、決断するのはなかなか難しい。そんな時の解決策は「自分の中で悩んだままにせず、決断する材料がない場合は、納得がいくまでその道に詳しい人に聞き続ける。そして判断材料を足していく」ことだと、西村は語る。
浄土宗では男女で作法が違うものもあり、修行中、西村は悩んで思いつめてしまった。そこで指導員に相談すると、最終日に高名な僧侶に呼ばれ、直接質問をすることができた。修行中にはまだ自分が同性愛者であることを周りに伝えていなかったため、西村はこんな風に質問したという。
「私の周りにはトランスジェンダーの人がいます。作法についてどのようにアドバイスをすればいいですか」「また、私はキラキラしたアクセサリーを身につけるのが好きなのですが、これについてはどうですか」
すると、師はこう答えた。
「どんな人でも平等に救われるという法然上人の教えがもっとも大事なことです。作法はこの教えの後に作られたものだから、男女どちらの作法でもかまいませんよ。日本ではお坊さんは洋服も着るし、時計もつけます。それとキラキラしているものを身につけることの何が違いましょうか」
その答えを聞いた時点で「悩みが終わった」と西村は振り返る。こんな高僧とのやりとりを経て、西村は「正々堂々とお坊さんになれた」のだという。思えば、観音様も黄金で綺麗な服飾品を身につけて「キラキラ」していたのだ。
正々堂々──。いまの西村をひと言で表す最適な言葉だろう。とはいえ、威圧感は全くなく、物腰は柔らかだ。どうしたら、そうやって自然体でいられるのだろうか。西村は静かにこう答えた。
「自分が胸を張ってさえいれば、意外とバカにされたり、揶揄されたりするようなことにはなりません。見た目もセクシュアリティも、人と違うことは恥ずかしいことではありません。自分らしさを愛する選択をして、胸を張っていられることは幸せですよ」
次回は、西村にSNSとの向き合い方や発信について聞く。
西村宏堂◎1989年東京生まれ。浄土宗僧侶。ニューヨークのパーソンズ美術大学卒業後、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。2015年に僧侶となり、その傍ら、LGBTQ啓発のためにメイクアップセミナーも行なっている。自著に「正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ」。