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フォーブスジャパン編集部


西村は、2007年にアメリカ・ボストンの短期大学に留学したが、すぐに事態が好転したわけではなかった。今度は「日本人であること」にコンプレックスを感じた。「目が小さくて鼻が大きくて、自分に全く自信が持てませんでした」。だが、そんなときにミス・ユニバース世界大会で日本人が優勝したというニュースが飛び込んできた。受賞したのは「アジアンビューティー」と評される艶やかな黒髪が象徴的な森理世だった。

「そのとき、私は美しさの基準を日本人目線でしか考えられていなかったことに気づかされました」

西村がメイクアップアーティストを志したのは、ミス・ユニバース世界大会で優勝した森に衝撃を受け、そのメイクを担当していた日本人のメイクアップアーティストを尋ねたことがきっかけだった。ボストンの短大卒業後は、ニューヨークのパーソンズ美術大学に編入し、ファインアートを専攻しながら、そのメイクアップアーティストの下でアシスタントとして修行を始める。

モデルの森理世と西村宏堂
のちに、西村はモデルの森理世をメイクする機会にも恵まれた(本人提供写真)

お寺で生まれた西村の父はもちろん僧侶だが、母はピアニストで芸術肌。西村自身は8歳から華道を始め、幼少期は自分のことを「こうちゃん」と呼び、ディズニープリンセスに憧れて、母のワンピースを着てお姫様ごっこをするような子供だった。すでにこのとき、メイクアップアーティストとしての素養は芽生えていたのかもしれない。それについて親から咎められたことはなかった。

ニューヨークのパーソンズ美術大学では、絵を描くことだけではなく、彫刻や溶接、パフォーマンスアートなどありとあらゆる表現方法を学んだ。

そして、当時の学部長が同性愛者を公表しており、また周囲の人たちは、LGBTQであってもそうでなくても、分け隔てなくコミュニケーションをしていることに、大きな衝撃を受けた。

「実は、私はアメリカに行って最初の3、4年は、日本にいたときのように引っ込み思案でおどおどしていたんです。でも表現することが大好きなコミュニティに入ったことで、周りからも『もっとメイクしなよ』とか『さぁ、パーティー行こうよ』なんて声をかけられました。みんながカラフルに生きていたので、自分が悩んでいた意味が分からなくなるほどでした」

西村宏堂

自分自身でも徐々にメイクをするようになり、中性的な美しさがあるハイヒールも履くようになった。「メイクは自分らしくできる魔法のようなもの。なりたい自分にさせてくれます」

パーソンズ美術大学在学中に学んだ大事なことは「作品を作る理由をしっかり考えること」だったという。「なんとなく綺麗な絵を描くのではなく、どのような社会問題や文化的背景を捉えて、何を訴えたいのか。その理由が大事だなと学びました」と西村は振り返る。

そのような経験から、メイクアップアーティストになってからも「自分自身が苦しんできたからこそ、LGBTQの人たちを助けるメイクを」という軸はぶれずに持ち続け、「美の魔法」のエッセンスを多くの人に伝えている。

文=督あかり 写真=Christian Tartarello スタイリスト=Leonard Arceo

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