愛着障害という名の「心の渇望」にも着目 三位一体で獄中鑑定へ|#供述弱者を知る

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植物状態であった患者(当時72歳)の自然死が、殺人事件にされた呼吸器事件。誰も外していない、外れてもいなかった呼吸器のチューブを、看護助手の西山美香さん(40)が密かに外して患者を窒息死させた、という犯行は、警察と検察のでっち上げだった。

この冤罪を解くための獄中鑑定が実現するのかどうか。弁護人、家族、そして、西山さん本人の協力が不可欠になる。さらに、刑務所の許可が必要になる。立ちはだかる壁はとても高いように思われた。

取材班の新たなブレーンとして加わった元記者で精神科医の小出将則医師(59)=一宮むすび心療内科(愛知県一宮市)院長=は2017年2月9日、西山さんの両親への手紙を中日新聞本社で何通か読み、軽度知的障害と発達障害を見抜いた。その上で、獄中で鑑定することを快諾してくれた。

前回の記事:過去にも発達障害の人が冤罪に 自白誘導、お決まりのケースだった

本社からそば店に移動し、鑑定に向けての話をしているとき、小出君からリクエストがあった。

「まず、事件の流れが分かる裁判の資料を送ってほしい。事前にしっかり勉強しておかないと」

資料といっても、複雑な経緯を読み込んで理解するとなると、何時間もかかる。多忙な開業医でありながら、労を惜しまず資料を読み込んでくれるのは、ありがたく、彼の本気度が伝わってくるリクエストだった。小出君は続けた。

強力なタッグで「獄中鑑定」に向けて進み始めた


「鑑定の前に実家で両親の話も聞いておきたい。母子健康手帳や幼い頃からの写真、小中学校の時の通知表も調べたい。事前にご両親に伝えておいてもらえないかな」

鑑定をする以上は本格的な手順で進めたいのだろう。仕事に臨もうとする姿勢は敏腕で鳴らした記者時代と変わらなかった。

思い出すのは、目白の闇将軍と言われた田中角栄元首相が66歳の1985年2月末、脳梗塞で入院した時のこと。入社1年目で病院前の張り込みを命じられた小出君は2カ月後に元首相が極秘退院していることを独自にキャッチ。他の全社が、もぬけの殻の病室を病院の外から注視している中で、圧巻のスクープだった。昭和天皇の闘病中に手術室まで入り込み、平成改元の際の天皇陛下のお言葉全文も特ダネにした。嗅覚の鋭さと行動力は、同期入社の中でも群を抜き、脱帽の連続だった。

お互いが予定表を見ながら、滋賀県彦根市にある西山家への訪問は2月26日か、翌週の3月5日のどちらかを候補日にすることになった。

夕方に中日新聞の本社で手紙を前に話し始めてから、市内のそば店へと流れて続いた談義は深夜にまで及んだ。小出君はアルコールを一滴も飲まない。私は、一緒にいる相手が飲めば飲む、飲まなければ飲まない。この時は夕方から4、5時間ぶっ通しで、しらふで話し込んだ。中身の濃い打ち合わせのおかげもあってか、その後の展開はとんとん拍子だった。
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文=秦融

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