今年、2020年にフランス料理の本場、パリで三つ星獲得という快挙を遂げた小林さんだが、1999年に渡仏した当初は、修業が終わったら東京に帰るつもりだったという。しかし。
「こちらにきて1年目には、フランスでお店を開こうと決めました。理由は、フランス人と働くことに強く刺激を受けたからです。日本はどうしても職人気質の年功序 列が残っていましたが、フランスは若くてもスキルがあれば仕事をもらえるのです。それに、やればやるほど先輩たちが可愛がってくれる。とても新鮮でしたね」
渡仏した小林さんは、ラングドック・ルシヨンのレストランを皮切りに、プロヴァンス、アルザス、サヴォワ、ブルターニュとフランス各地のレストランを渡り歩き、4年目にパリの3つ星レストラン「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」にたどり着く。ここで自分の店を開く直前まで働くことになる。
「30歳までにパリでシェフになりたいと思っていたのですが、アラン・デュカスさんのお店をなかなか辞めさせてもらえなくて。辞めると意思表示してから、3年半かかりました。その間、彼が持つ、日本やアメリカの店のシェフという話もあったのですが、パリしか考えてなかったので、自分で動きました」
そうして三つ星を獲ると宣言して、2011年に「レストラン・ケイ」をオープン。翌年、一つ星を獲得したころに初めてオーデマ ピゲのオーナーになる。
「以前から好きでした。時計から、自分たちがやりたいものが伝わってくるようで。オーデマ ピゲは、常に革新の心を持っている。革新的なものがみんなに認められて、年数を重ね、最終的にクラシックになる。これが、とても重要なことなのです」
1972年に誕生したロイヤル オークは、潜水服のヘルメットをモチーフにした斬新なデザイン、ステンレススティール素材など、当時の高級時計の常識を覆す要素が数多く盛り込まれていた。それを認めさせ、48年後の今日ではスタンダードになっている。そこが小林さんの職人魂をくすぐると話す。
「時計は前にしか進まないですよね。そして歯車一つ狂っても、前には進まない。レストランの料理も同じで、チームでつくっているので、ひとつでも歯車が狂ったら、おいしい料理、感動する料理は絶対につくれない。ロイヤル オークからは職人が見えるんです。だから自分も職人として応えるべきだと感じさせられるのです。そういう対話ができるのがオーデマ ピゲの腕時計だと思いますね」