東京の感染拡大再発とニューヨークの抑制成功から浮かび上がる日本の謎

東京における新型コロナウイルス感染は、3月初旬から4月中旬にかけて急拡大した。 一日の感染者数は、4月中旬には、東京で200人台、全国で700人台へと増加した。この過程で、入院患者も急増、病床数の不足が懸念されるようになった。

4月7日には政府から、緊急事態宣言が発せられ、都道府県知事の判断で、法律に基づいた休業要請を行うことができるようになった。しかし、それでも法律に基づく休業要請に強制力はなく、あくまでも「要請」だった。特に「夜の街」と呼ばれる、接待を伴い酒類が提供される店舗では、感染者の集団(クラスター)の発生例が増えていた。この夜の街クラスターでは、休業要請に応じない、陽性者の行動追跡が難しいことが危惧されていた。それもあり、休業要請に、実効性を持たせるためには、休業補償が必要だ、との考え方が広がり、東京都を皮切りに、休業要請に従う店舗には「協力金」を支払うという慣行ができた。

大企業の出社率も「少なくとも7割減、できれば8割減」となるような要請が行われた。通勤電車の混雑緩和のため、テレワークの推進と時差出勤の呼びかけが行われた。都道府県間の移動も自粛要請の対象となり、ゴールデン・ウィーク期間中も新幹線や航空機の利用率はかつてない低さであった。

緊急事態宣言の効果もあってか、感染者数はゆるやかに低下し、5月末には、一週間の平均で東京都では10人を切る、全国でも20人台という日が見られるようになった。5月25日には、政府の緊急事態宣言は解除された。欧米が、都市のロックダウン(都市封鎖)が続くなか、日本はなんとか第1波を乗り切ったという認識がひろがった。安倍晋三総理も「自粛」だけで行動変容が実現して感染拡大を抑え込んだ、死者数も欧米と比べて圧倒的に少ない、として、「日本モデル」の成功と自画自賛した。

ただ、なぜこの時点で日本が成功していたのか、について明確な科学的証拠はなかった。感染者数については、PCR検査数を絞っているので実際の感染者数はもっと多いのではないかと考えられていたし、死者数が少ないことも、京都大学の山中伸弥教授が、ファクターXと呼んだように、要するに謎のままだ。

3月から4月にかけては、ニューヨークでも、感染拡大が急激に進んでいた。ニューヨーク州では、3月1日に最初の感染者が1人確認されたあと、4月中旬には一日1万人まで拡大した。ニューヨーク市では、知事による行政命令で、生活に必須のビジネスおよびその従業員以外は、店舗は休業、人々は外出禁止となった(詳しくは、本誌6月号のコラムを参照)。
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文=伊藤隆敏

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