挑戦する人と挑戦する企業をつなぐ、Forbes JAPAN 初の採用ブランディング

「コスモスイニシアさんは新卒入社から定年まで働いた人が1人もいないって、本当ですか?」

代表取締役社長を務める高木嘉幸(※肩書は当時。現・代表取締役会長)は、あるとき同業の経営者との会話の中でそんなことを聞かれ、こう答えた。

「ええ、本当です。『定年まで働きたい』という人は採用しません!」

ご存知の方はもう、多くはないだろう。コスモスイニシアは環境開発という名前でリクルート(現・リクルートホールディングス)の子会社として1974年に創業。リクルートコスモスと社名を変え、バブル時代に急成長。リクルートのグループ会社として初めて株式上場を果たすなど、華々しい歴史を持つ。

しかしその後、バブル経済崩壊による苦境が訪れ、リクルートグループから独立。コスモスイニシアグループとしての成長を目指すも、今度はリーマンショックによる苦難の局面に立ち、事業再生プロセスを経て大和ハウス工業との資本業務提携を行い、現在に至る。

リクルートグループから独立して15年、大和ハウスグループの一員となって7年が経つ。だが、この会社には創業から45年以上経っても変わらないDNAが受け継がれている。それこそが時代の悲劇から這い上がることができた理由であり、今でも経営者マインドを持った“卒業生”を輩出し続けているゆえんでもある。

環境開発、リクルートコスモス時代から同社で働き、コスモスイニシアの歴史を熟知しているといっても過言ではない高木の話とともに、この会社の核心に迫ってみたい。

就職活動で初めて惚れた会社に入社した。しかし初日に想定外の辞令が


高木は理髪店を営む親のもと、福井県に生まれた。地元を離れて東京で働きたいという思いもあり、学生時代は就職活動にも精を出した。

大学の先輩から紹介を受けたメガバンクや総合商社など、大手といわれる企業を志望していたが、一つの疑問が高木に付きまとっていた。

「大手で若いうちから何か成し遂げられるのか?」

この疑問がクリアになることはなく、結局、内定していた企業への入社を辞退する。そんな高木の目にとまったのが、リクルートだった。

当時のリクルートは創業から23年を迎え、売上が約1000億円規模に成長していた。創業社長であった故・江副浩正のカリスマ性と、会社としての勢いに高木は心を掴まれた。「就職活動をしていて初めて心から『この会社に入りたい』と思った」と当時の心境を振り返る。

そうして迎えた入社初日、思いもよらぬ辞令を受ける。採用された新卒社員のうち、何人かが子会社へ出向になるのだが、高木もその1人として名前を呼ばれたのだ。

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想定とは違う配属先に腐ってしまう従業員は今も昔も変わらず一定数いる。だが、思わぬ展開を受け入れた先にこそ、想像を超えたキャリアが待っていることもある。

高木は、「若いうちに何かを成し遂げたい」という入社前の思いを逆に叶えてしまった。

高木の入社後の8年間で、従業員は50人から1400人に、売上は300億円から4000億円規模に成長。まだ20代だった高木も、約40人の部下と約500億円の売上を抱える課のマネージャーを任され、忙しくもやりがいに満たされた日々を送った。

「グループ会社なら、同じDNAがきっとあるはずだと信じていました。リクルートの社訓である、『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』。この言葉の通り、与えられた環境を自分がどう生かすか、それは自分次第なのです」

「私はカリスマではない。だから優秀な皆さんに情報と権限を渡します」


上場を果たし、順調に業績を伸ばす中、リクルートコスモスは海外進出を目論む。単なる不動産販売だけではなく、ホテルやオフィスビル、海外リゾートなどを開発する総合不動産業として事業を拡大させるタイミングだったからだ。

そこで、オーストラリア進出のキーパーソンとして高木に白羽の矢が立った。バブル経済真っ只中の1989年のことだ。

しかしバブル経済が崩壊、高木が現地で指揮をとっていたリゾート開発計画も暗礁に乗り上げてしまう。オープン前の計画中止も危ぶまれたが、数年後には黒字化に成功。事業の紆余曲折を経験し、結果的にオーストラリアで“19年間”を過ごすことになる。

高木が日本に帰国したのは、2009年3月。リーマンショックによって経営再建を余儀なくされたタイミングだった。これまでの取引先企業への影響を最小限に抑えるために、コスモスイニシアは裁判所を通した民事再生手続きではなく、銀行団との合意による再生プランを策定し実行する道を選んだ。

そして2009年10月、退任した古参の経営陣から引き継ぎ、トップの座についたのが、高木だった。

不動産開発を行うにはまず資金を用意することが必須。ただ、経営再建中のために金融機関からの借り入れができず、ビジネスモデル自体も見直す必要に迫られた。

この状況下で新社長・高木の取った方針は、事業ポートフォリオの変革と徹底した権限移譲だった。

「金融機関と約束した、事業再生プランの完遂という必達のゴールがあり、そのためには従来型の事業ポートフォリオからの脱却・変革が不可欠でした。では、どうすればいいのか。たどり着いた答えが、経営情報の開示。部長クラスの管理職に対して、『このゴールにたどり着くために一緒に山の登り方から考えてほしい』というメッセージを出しました。

私はカリスマではないのです。だから優秀な部下にできるだけ情報と権限を渡して、意思決定できる人を増やす。それが急ピッチで会社を立て直すための舵取りのカギだと考えたのです」

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「会社がつぶれない限り、従業員にはチャレンジさせたい」


会社として大きな転換点を迎えるにあたり、高木は脈々と受け継がれる会社のDNAに改めてスポットを当て、皆が同じ方向を向くための企業理念を策定した。

「顧客に対して新しい価値を提供し続けていく意思を込めて『Next Value for the Customer』という言葉を当時、掲げました。ビジネスモデルの変革を余儀なくされたこともあって、私たちができるのは、大手企業が手を付けないところに隠れたニーズを見出し、スピーディーに形にすること。それが、『新しい価値』の意味するところです」

新しい価値を生み出し続けられる土壌さえあれば、きっと生き残っていける──。

不動産バブルの崩壊とリーマンショックという時代の憂き目にあい、経営再建という“崖っぷち”を経験したからこそ、「この会社が存在している意味は何か」という問いに向き合うことができたのだろう。

この「新しい価値」は今も変わらずコスモスイニシアの“コア商品”であり続けている。それは現在のミッションである『Next GOOD ~お客さまへ。社会へ。一歩先の発想で、一歩先の価値を。~』という一言にも象徴されている。

話を戻そう。“非カリスマ”が陣頭指揮を取った改革は実を結び、コスモスイニシアは新たな価値創造という側面から「都市環境のプロデュース」を多角的に手掛ける企業集団へと進化した。

現在も継続するマンション分譲事業では、スノーピークやリコーといった異業種の企業とのコラボレーションによって新しい生活をデザインする住まいを開発・提案し、業界でも独自の存在感を示している。さらには、AIによる不動産価値の将来予測と投資プランシミュレーションサービスを業界で初めて一般に提供するなど、従来にはない不動産ビジネスを展開し続けている。

何より注目すべきは、こうした企画が若手を中心とした従業員からボトムアップで始まっている点だ。

「世の中に新しい価値を生み出し、『都市環境のプロデュース』という事業ドメインに該当すれば何をしてもいい。やりたい人がいたら、会社がつぶれない限りチャレンジさせたいと考えています。それは当社の従業員がイキイキと働くために必要なことでもある。たとえ目先の利益に直結しなくても、新たな事業創造を促進し、将来の成長を模索し続けること。その姿勢は変えずにいたいです」

採用の合言葉はずっと「よい子、強い子、元気な子」


企業のDNAとは、人から人へ受け継がれる考え方や、行動規範のことだ。コスモスイニシアが2度の経営危機を乗り越えられたのも、会社に残って奮闘した従業員がいたからこそである。

どのようにしたら、そうした人材が育つのだろうか。

ここにも、リクルートグループ時代から脈々と生き続けている合言葉があった。それが上に掲げた「よい子、強い子、元気な子」という採用におけるクライテリアだ。

リクルートは60年前の創業時から「男女平等に採用・雇用する」という方針を当然のように取り続けており、コスモスイニシアも創業時からそれを受け継いでいる。

高木の入社当時、地方には能力があるものの家庭の事情などで大学進学しない若者、東京に出てこない若者もいた。そこで、リクルートは全国の高校に足を運んでまで“スカウティング”をしていたそうだ。

そして、入社を志望する学生とは時間をかけて向き合い、互いの価値観や相性を十分に見極めるのだという。

つまり、ここ最近になって世間で浸透してきた「学歴、性別で判断する必要がない」「マインドやカルチャーフィットが重要」といった採用理念を、コスモスイニシアは創業以来ずっと持ち続けているのだ。

「よい子、強い子、元気な子」という表現は、解釈の幅があるかもしれない。

だが、「若いうちに何かを成し遂げたい」といった高木の発言や、リクルートグループ時代の社訓からそのニュアンスを感じ取ることができるだろう。

── 自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。

実はこの言葉は今、コスモスイニシアが掲げるValues(行動指針)の1つにもなっている。同社や社会の未来、そして何より従業員一人ひとりの未来を輝くものにすべく、この言葉はコスモスイニシアの“北極星”であり続けるだろう。

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