文明社会には幸福学が必要
紙芝居を描き始めた頃は、電気が止まってしまって、ローソクの灯りの下で描いていたこともあったそうです。漫画を描き始めてからも、けっして順調とはいえなかった。
「でも、あんまり苦労したと思っていないんですよ。少し稼げたと思ったら、すぐに妖怪の資料を集めるための費用に回したりしてね。好きだったから、こういうことができた。
ところが、漫画をラクな世界だと思って転がり込んでくる志望者もいましてね。ふわーっとした気持ちで入ってくる。それじゃダメなんですよ、漫画は。努力すれば、うまくなる人もいるのにねぇ」
水木さんは、作品をヒットさせようと思って描いたことはないといいます。それよりも自分が面白くて、描きたくてしょうがなかったから、描いた。
「好きなことですから、時間も忘れて描いてしまう。だから、あっという間に数十年がたっちゃって(笑)。気づいたらもう60歳を過ぎていました。考えてみると幸せな人生ですね。でも、それに気づいたのは、80歳になってからでしたけどね(笑)」
作品の執筆でとんでもない忙しさのなか、水木さんは、よく南の島にも出かけていました。
「南の島では豊かで楽しい暮らしをしている。だから、そこに住んでいる人たちは妖怪を感じる“妖怪感度”が高いんです。パプアニューギニアのセビック川沿岸なんて最高です。文明社会に暮らす人は、あんな何もない場所で、なんて思いますが、モノはなくても精神的に豊かなんです。
それに、なんたって働かない(笑)。それでも食べていける。それこそ彼らが日本に来たら、地獄だと叫びますよ。現地では、文明社会で暮らそうなんて人は滅多に現れない」
水木さんは「幸福観察学会」という会をつくっていましたが、それは「文明社会には幸福学が必要だから」だと語っていました。でも、そもそも南の島では、そんなものは必要ないのです。
「(地獄だとしても)日本に暮らしているんだからしょうがない。だとすれば、素直に受け入れる必要がある。日本では幸福になりづらい、カネがないと厳しい世の中なんです。となれば、頑張って働くしかない。怠けてカネをもうけた話は、いまだかつて聞いたことがありませんからね」
水木さんは、好きなことをやるだけではダメだと言っていました。頭を使って知恵を振り絞らないといけない。成功するんだという強い意志を持って努力しないといけない、と。
「特に若い人に言っておきたいのは、苦しむことから逃げちゃイカンということです。若いときにラクしようとしたらイカン。ちょっとでも苦しい方向に行かないと。いいですか、人生はずっと苦しいんです。苦しさを知っておくと、苦しみ慣れする。これは人間として強いですよ」
実は筆者は、高校時代からの水木さんの大ファン。取材したとき、帰り際に滅多に求めることのない握手をお願いしました。笑顔で快く差し出された右手の手のひらが、とても温かく、柔らかかったことを覚えています。そして、最後にこう仰いました。
「いまの若い人は幸せです。努力次第で、何でもできるんですから」
連載:上阪徹の名言百出
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