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次世代の仕掛け人たち


黄:23歳で会社を閉じる時も、きっかけはありましたか?

鈴木:当時、僕は山梨にある大学院1年生でしたが、当時のECは、楽天やアマゾンなどが大きくなってきていて、独自ドメインからプラットフォーム化する時代でした。SEO対策も、Google側が強くなって、今までのやり方が通用しなくなりました。特に、グーグルが“パンダアップデート”という大きな改修をして、アルゴリズムが一気に変わってしまって。要は、それに影響されたビジネスモデルなのだと、気づいたんです。

黄:会社も、不安定になっていたのですか?

鈴木:売り上げはありましたが、事業に大型投資したあと、パンダアップデートでSEO対策が軒並み失敗したので、結構苦しい状態でした。それに、これからプラットフォーム化が進むと思っていた矢先に、ご縁があって、あるベンチャー系の方からお声がけいただきました。“MixChannel”という動画アプリを作る予定チームだったのですが、目の前にプラットフォームを作るチャンスがあるなら逃さない手はないと思って、撤退しました。それが、インフルエンサー・マーケティングを学び始めるきっかけにもなりました。

黄:今の鈴木さんにもつながる決断だったのですね。

鈴木:でも、それまでに稼いだお金は、授業料や家族の医療費などに当てていたので、会社を閉じて、一気に貧乏学生に戻りました。それが、またハングリー精神を掻き立てて、このアプリ成功させないと、なんのために会社を潰したのかって話になるので、異常なほどにがんばっていましたね。

7時間かけて自転車通学


黄:当時は、会社のある東京から山梨の大学院まで、通学していたのですか?

鈴木:そうですね。自転車で、上野から山梨まで通っていました。甲州街道で1本なんですよ。午前2時に出れば、1限に間に合うので。

黄:7時間も漕いでいたんですか?! バイトして、電車で通うこともできますよね?

鈴木:いや、バカなんで、そういう頭はなかったです(笑)。それをやっている自分がかっこいい!という感覚もありました(笑)。そういえば、地元のテレビ局から取材されました。大学の近くに、山梨の歴史上の著名人が入っていたとされる温泉があったのですが、自転車通学のあと、異常に汗をかいた状態で、そこに行き過ぎて、話題になったんですよ。

黄:それで?

鈴木:そういうことを繰り返していたら、続けることとか、異常なことをすることとかが、ハネると思いました。僕がツイッター、ユーチューブを始めたら、フォロアーが相当数伸びたんですよ。それまで、僕は独自ドメインがプラットフォームに包み込まれたと思っていたけれど、プラットフォームは意外と個人の力でできているから、尖った個人を作ることに意味があると体感しました。個人の時代が、また来るなと。



インフルエンサーの先駆け


鈴木:それで、大学院最後の24歳の年に、自分のフォロアーさんだけを頼りに、東京から福岡まで自転車で行く計画を立てました。白いTシャツに、フォロワーさんに「頑張れ!」とかのメッセージ書いてもらって、九州まで9日間で行きました。

黄:フォロワーには、何を頼んだのですか?

鈴木:お金と寝床と食料ですかね。フォロワーさんは万単位でいましたが、皆さん良くしてくれて、今でも写真を残しています。実は、旅の間に両足が折れちゃっていて、現地のフォロワーさんにカンパしてもらって、新幹線で帰りました(笑)。当時、まだ“インフルエンサー”という言葉はありませんでしたが、影響力は世の中を動かすんだということを、自分で体験しましたね。

構成=MAAKO 写真=西川節子

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