作品を書くにあたって、いろいろと調べたのだが、面白かったのは、量子理論を基にした乱数発生器に、ある条件で不具合が発生した話だった(NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦)。
乱数発生器は生活のさまざまな場面で使われていて、クレジットカード情報の暗号化など、ランダムに乱数を発生させる仕組みなのだが、その性能が9.11や東日本大震災など人々が大変なショックを受けて多くの人の脳波に乱れが起きた時に不安定になったというのだ。
人間の意識がコンピューターを狂わせるのならば、コンピューターが量子を操ることによって「人間の意識を狂わせる」こともできるはずだ。悪用しようと思えば、いくらでもできる。それこそが恐ろしい。
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「からくりごころ」
思念やテレパシーは、時に量子(物質)に影響を与えることがある──。私はこの事実を、作品を書くにあたってさらに、超古代文明に生きた人々はそれをコントロールできていた、と仮定することにした。
元来、人間は、言葉を必要としていなかったのではないか。言葉なしで意思の疎通ができていたのに、言葉を与えられたことによって、本来持っていたはずの我々の「能力」は封印されてしまったのではないか。そう考えると納得がいったからだ。
新約聖書に、「はじめに言葉(ロゴス)ありき」という記述がある。神は「光よ、あれ」と言葉にすることで世界を創造したのだから、それはその通りだろう。しかし、神の発したこの言葉によって、人間はそれまで持っていた何らかの超能力に鍵をかけられ、制限されたとは考えられないだろうか。
言葉にできることに限界があるように、言葉で思考できることにも限界がある。人類は解き明かせないさまざまな難題を抱えたままだが、それを解決するには、きっと言葉を超えた思考法や思想が必要なのだろう。きっとどこかに答えはあるはずなのに、人間はそれを思いつくことができない。そういう意味でも、「奴隷」だ。
私は、テクノロジーがすでに人間を食い破ってきていると感じる。AIの能力は、すでに一部で人間を超えているのだから、下のものが上のものに支配されるのは時間の問題。人間がテクノロジーをコントロールできるなどというのは、大間違いだと私は考えている。
テクノロジーの恐ろしさを、人間はきちんと知っておくべきだ。このまま行けば、どこかの段階で人間がコンピューターや機械を打ち壊さなければならない未来がやってくるのではないかと思う。
これは、「バタフライ・ドクトリン」の大きなテーマでもある。人間はどう技術と対峙すべきかという命題は、個人的なお付き合いのあった哲学者でハイデガー研究の第一人者・木田元先生から託されたものだとも感じている。