続いて彼は、3つの円を、それぞれ一部が重なるように描いた。1つ目の円には「知的障害」、2つ目には「ADHD」(注意欠如多動性障害)、3つ目には「ASD」(自閉スペクトラム症)と書いた上で説明を始めた。
「障害や症状は必ずしもこの3つではないんだが、分かりやすくこれで説明しよう。1つの障害だけ、という人はむしろ少なくて、多くの患者さんは、同時に複数の傾向を持っていることが多いんだよ。それぞれの障害の強弱は人によるけど、彼女はおそらく、この3つすべての傾向を持っていると思われる。つまり、この3つの円が重なり合った、この部分にいる人だ。まず、間違いないだろう。その3つに加えて、愛着障害もあるだろうね。お兄さんたちへのコンプレックスが恐らく愛着障害を生むきっかけになったと思われる」
知的障害とADHD(注意欠如多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)の円が重なり合う場所にいる人だと小出医師は指摘した(Shutterstock画像から作成)
彼がそう言った時、取材班の井本拓志記者 (31) が少し前に送ってきた専門家のコメントに「発達障害オンリーならうそはつかない」とあるのを思い出した。発達障害だけではないという洞察に、知的障害、愛着障害という複合する障害を具体的に挙げてさらに解釈を深めたのが小出君の見解といえる。
それにしても、西山さんの生育行動履歴と数通の手紙を読んだだけで、ここまで自信を持って見通す見識に、友人ながら驚くとともに、頼れるブレーンとして非常に心強く思った。
「手紙を見ただけで、よくそこまで分かるもんだねえ」
私が感心すると、彼は再び手紙に目を落として、ある文字を指し示した。
「ここに『楽』という漢字があるだろう? 彼女は『白』のところを、一本横の線が多い『自』と書いているんだ。いくつも『楽しみ』とか『楽しい』とか出てくるが、すべてそうなっている。彼女の場合は、こんなところにも障害が表れていて、こうだと思い込んで書いているんだよね。漢字を書き間違えることくらい、誰にでもあるとは言え、間違い方もある。『楽』の『白』を『自』と間違えるのは、あまりないよね。殺していません、と書くべきところで『ろ』が1文字多く、殺ろしていません、となっているのも似ているね」
目の前に立ち込めていた霧が晴れていくようだった。たとえ軽度でも「知的障害」を立証できれば、重大性を認識できずに殺人の自白をしてしまったということを、それだけで説明できるインパクトがある、と思った。
しかし、どうやって立証すれば良いのだろうか。刑務所内で鑑定できれば完璧だが、それが簡単にできるとは、その時は思わなかった。とはいえ、可能性があるなら、前に進みたい。その場で小出君に聞いてみた。
「一緒に和歌山に行って、獄中で鑑定してくれないか」
彼の返事は早かった。
「いいよ。クリニックの休みは日曜と木曜だが、木曜は産業医の面談があるので、日曜なら都合がいい。木曜でも調整できなくはない」
本来なら、ここで鑑定料などの話が出てもおかしくないが、いまでも仲間意識が強い彼の申し出もあり、そのような話をしなくてもいいのがありがたかった。
相場は最低でも2、30万になる鑑定料となると、7回もの裁判で有罪の結論が出ているこのケースで、会社が取材費として簡単に認めてくれるとは思えず、社会的な意義を考慮した彼の判断には素直に感謝した。持つべきものは友、である。
あとは、和歌山刑務所が、獄中での鑑定を受け入れるかどうか。それには、弁護団の協力が欠かせない。井戸弁護士に刑務所との折衝をお願いし、獄中鑑定がかなえば、取材は一気に前進するだろう。
「鑑定したら、間違いなく知的障害が判明すると思う?」
小出君に念押しした。冤罪の立証には極めて重要なポイントになる。
「間違いない。このあたりだ」
彼は再び手元の曲線グラフに目をやり、ボールペンでグレーゾーンのあたりを指し示した。
連載:#供述弱者を知る
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