誤字から見抜くもう一つの障害 見過ごされがちな「グレーゾーン」の人|#供述弱者を知る

連載「#供述弱者を知る」


「でもさ、彼女は全部で3カ所の病院に勤めていたんだよ。医療関係者に囲まれていたわけだよな。でも、どの病院からもそんな指摘は上がっていないし、事件があった病院の医師や同僚看護師の供述調書にも一切そんな話はないんだよ。彼女と一緒に働いた医療関係者の誰にも気づかれないなんてことがあるのかな。おかしくない?」

彼は私に臨床での経験豊富な医師らしく、こう説明した。

「秦もそうだと思うけど、多くの人は知的障害というと、極端なケースを想像しがちなんだよね。でも、そうじゃないんだよ。中間的な人たち、つまり、グレーゾーンがあるんだ。社会生活は普通にできるから、周りも障害に気づかない。医療関係者と言ったって、専門で患者を診ていなければ案外そんなもんだよ。本人や家族も気がついていない場合がほとんどなんだ。彼女の場合も恐らくそうだろう。うちのクリニックにも同じような患者さんはいる。実は知らないだけで、社会にはグレーゾーンの人はいっぱいいて、その人たちこそが、最も社会生活でいろんな問題に直面し、生きづらさに苦しんでいるんだよね」

IQテストにある境界線


私がこの分野の基本的な知識を持ち合わせていないことを察した彼はその場で即席の初心者向け講義を始めた。

「何か書くものないかな?」

校了したA3サイズのゲラが手元にあったため、テーブルに置くと、真っ白な裏側にボールペンで何やらグラフを描き始めた。

最初のグラフは、裾野が広い左右対称の山の形をした曲線グラフだった。縦軸は人数、横軸はIQだと言ってこう説明した。

「IQという指標で社会全体を見た場合〝普通の人〟と〝障害のある人〟というように分かりやすく分かれているわけじゃないんだよね。80以上を一応、正常の範囲と言っているだけで、80以下も緩やかにグラフの線が下がっていくんだよ。120以上も同じだよね。80以下は70~79の境界域があり、50~69の軽度知的障害の範囲がある。そのあたり、つまり50~80までがだいたいグレーゾーンと言える。

ある程度の読み書きや、簡単な計算ならできないわけじゃない。日常会話だって普通にできる。でも、平均的な人たちと同じようにできるかというと、必ずしもそうではない。だから、職場で失敗を繰り返したりすると『なぜ同じ失敗を繰り返すのか』『反省していない』などという言われ方をされてしまう。

本人も自分の障害に気づいていないから、他の人と同じようにできない自分に劣等感を持ってしまったり、嫌がらせをされたりしていると誤解する。それが鬱につながってしまう場合も結構あるんだ。俺のところに来る患者さんで、そういう人は少なくない。実際にIQを調べてみると、当たっていることが多い」

なるほど、そうだったのか、とうならざるを得なかった。単に私が無知だったにすぎないのだが、世の中は分かりやすく2層に分離しているわけではない。グレーゾーンといわれるそれなりに分厚い層の存在を意識してこなかった、と言われれば、その通りだった。
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文=秦融

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