藁をもすがる思いで連絡した元同期入社の新聞記者で、精神科医に転身していた小出将則君 (59) に連絡を入れると、幸いにも彼が協力してくれることになった。臨床の現場で発達障害のある患者をすでに数百人診てきたという彼こそ、この分野の専門家だった。
(前回の記事:「発達障害」の物差しだけでは甘かった 元記者の精神科医の存在)
約束の日、小出君は名古屋市内にある中日新聞本社に自家用車で来た。名古屋市役所の産業医でもあり、その仕事を終えた帰りだった。夕方、受付係の女性から来客を知らせる連絡を受けた私は、5階の編集局からすぐに正面玄関に向かい、彼を出迎えた。
来客用の喫茶コーナーで、ドリンクの注文もそこそこに、西山さんの手紙のコピー数枚をテーブルの上に並べた。
「ひらがなが多いけど、文章そのものから特に違和感を感じないんだけどね」
もの書きの一人として、いち意見を述べたが、小出君は、そんな私に返事もせず、数枚にさっと目を通しただけでこう言った。
「彼女、発達障害もあると思うが、知的障害があるよ」
知的障害もあるという精神科医の指摘 思わず反論したが……
今でもこの時の衝撃は忘れがたい。耳を疑うとは、まさにこのことだった。
「えっ、知的障害?」
驚く私に対し、小出君は努めて冷静に答えた。
「ああ、間違いない。あるね」
信じ難い思いの私は、次々に反論の材料を挙げて問い返した。
「だって、看護助手をやってたんだよ。知的障害があったら看護助手になれないでしょ」
すぐに一蹴された。
「いや、結構勘違いされているんだけど、看護助手って、特に資格は必要ないんだ。簡単に言うと、看護師を手伝う立場で、准看護師とは違うんだよ。シーツやおむつの交換など補助的な仕事が中心で、看護師のように専門的な知識や経験がなくてもできるんだ」
私は「手紙を読んでも知的障害があるようには感じなかったぞ。幼い表現はあるけれど、これだけの手紙を書き続けるって、大変なことだと思うけどな」とも言ってみた。だが、またもや一蹴された。
「確かにちゃんとした文章ではあるけれど、ほとんどが、話し言葉で書いてあるよね。そんなに難しい文章じゃない」
納得できず、さらに私は疑問を口にした。
「でも、彼女は結構な読書家なんだよ。両親に手紙を出すたび、毎回何冊もの本の差し入れを頼んでいる。本の感想もたまに書いてる」
それも「本が好きな人は読むさ。分からない言葉や読めない漢字もあるとは思うけど、別に不思議じゃない」と軽くいなされた。