同性愛は「罪」なのか 戒律との葛藤から不服従へ


思い合う女たちと、苦悩する男


ドラマは中盤から、エスティの物語になる。いつも控えめな微笑を浮かべ、服装から夫とのセックス日までユダヤ教の教義に従っている彼女は、ハイスクールの教師。学校での明るい笑顔や同僚に頼られているさまから、うちに秘めた芯の強さが窺われる。

エスティのロニートへの長年の思いは、やっと2人きりになって昔の思い出を語り合う場で、噴出する。この場面はいささか唐突な印象を与えるものの、ロニートに再会した瞬間の表情や、その後の不自然に思えるほど抑制的な振る舞い、夫とのセックス時の無表情など、彼女のセクシュアリティについてはいくつもの伏線が張り巡らされていたことに気づかされる。

null
『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(c)2018 Channel Four Television Corporation and Candlelight Productions, LLC. All Rights Reserved.

ロニートに恋心を抱きつつも伝えることはできず、彼女が去った後に幼馴染のドヴィッドと結婚したエスティ。異性愛主義に覆われた社会で、女性との結婚生活を長年送った後にカムアウトするゲイの例はたまに聞くが、厳しい宗教的規範に縛られた社会でのレズビアンに、カムアウトの道は閉ざされていた。

セクシュアリティに従って生きるには、自分の育った環境とも身についた信仰とも一切縁を切らねばならない。そんなことは無理だと完全に諦めきっていたのに、ロニートに再会したことでエスティは、自分の欲望を抑えることは不可能だと知ってしまう。

ヘビースモーカーのロニートと向き合ったエスティが禁じられているタバコを口にし、紫煙の中で二人が微笑み合う「共犯関係」成立の場面は、ホテルで激しく愛し合うシーンよりエロティックだ。

2人の逢引の噂を耳にして問い詰める夫にエスティがすべてを告白するシーンから、終盤はドヴィッドの激しい苦悩に焦点が当たってくる。

信仰心に厚く穏やかな性格でインテリジェンスも兼ね備え、誠実さが優しい瞳の奥に宿っているドヴィッドは、この間何かと疎外されがちな親友ロニートに最大限に気配りしてきた。

にもかかわらず、ユダヤ教で容認されていない同性愛で彼女と自分の妻が結ばれたと知った時、動揺と怒りと絶望の果てに彼はどのような態度をとるべきだと判断したか。

人々が注目する教会の壇上で、ぎりぎりまで葛藤に苛まれながらドヴィッドが行なったスピーチは、ロニートとエスティのみならず、見る者に深い感銘をもたらす。ドラマ冒頭で、倒れる直前の長老ラビが語った「人間とは何か」についての言葉を、ここで再びドヴィッドの生きた言葉としてクローズアップさせる脚本は実に巧みだ。

ロニートとエスティが共同体の規範や圧力に対して「不服従」を選択できたのは、本来の自分に素直に生きたいという強い感情が彼女たちを突き動かしたからだろう。

しかしそれも、その共同体の中心にいて信仰と困難な決断を辛くも両立させたドヴィッドの存在なくしては、実現しなかったかもしれない。愛する女性の自由と幸福を実現するための、男性の身を切るような、しかし崇高なまでの断念に胸を打たれる。

連載:シネマの女は最後に微笑む
過去記事はこちら>>

null
『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』ブルーレイ&DVDセット発売中/発売・販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

文=大野 左紀子

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事