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イノベーションの舞台裏


いのちのゆりかご、プランター開発に秘められた祖父の想い


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現在は熱く「食」と「農」のテーマに取り組む芹澤氏だが、昔からこの分野に興味を持っていたわけではなかった。

「子どもの頃はミュージシャンになりたくて、大学時代までは本気でジャズのサックスプレイヤーを目指していたんです。ところが、生まれて初めていただいた演奏のギャラが、5000円でした。5人で割ってひとり1000円。ミュージシャンでは稼げない業界の現実を悟ってしまい、慌てて就職活動を始めることになりました」

そこから芹澤氏は、自身の音楽歴を生かして、エンターテインメント業界へと足を踏み入れた。着信メロディを作るサウンドディレクターとして就職したことを足がかりに、レコード業界や芸能界の仕事も手がけ、数年後には、国民的アーティストやハリウッド映画のプロモーションを多数手がける、敏腕プロデューサーになっていった。

この業界で、人を楽しませる仕事をずっと続けていこう。

そう思い始めていた矢先に、父親が病に倒れ、やむなく家業に戻ることを決意。その家業とは、1949年に彼の祖父が興した、東京に唯一現存するプランター専門メーカー「セロン工業」だった。

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祖父の故・芹澤次郎氏

「セロン工業は、祖父が日本で初めてプランターを発明したことで成長を遂げてきた会社でした。前回の東京オリンピックをきっかけに、プランターという言葉は世界へ広がり、定着しました。私は家業に戻ってから、事業整理や理解を深めるべく、会社の資料室を漁ってプランターの仕組みや歴史を調べ始めました。そこで、祖父が手書きで残していた資料を見つけたのです」

そこ書かれていたのは、プランターの開発の背景にある、祖父の並々ならぬ想いだった。

「彼は終戦間もない、誰もが近代的な進歩や発明に目がいっていた時代に、家庭にも置ける植物の育成容器を開発しようと決意し、大学の研究機関と協力しながら、5年もの試行錯誤を重ねてプランターを完成させました。

その軌跡が克明に記された資料の最後にはプランターとは“いのちの ゆりかご”である』と書いてありました。初めてそのフレーズを見つけたときは、涙が止まりませんでした」

祖父の想いを、自分は引き継いでいく使命がある──そう感じた芹澤氏は、現代に合わせたプランター事業を模索するために、家業から独立させる形で、プランティオを創業した。

「おじいさまの発明の本質は、プロダクトではないでしょう?」


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孫泰蔵氏と芹澤氏

プランティオを立ち上げてから、新たなプランター事業の開発に打ち込み始めた芹澤氏。その紆余曲折の中で、よき水先案内人となってくれたのが、共同創業者であり、投資家として出資もしているシリアルアントレプレナーの孫泰蔵氏だ。

「私は当時、最先端の技術を結集させた、ハイテクプランターをつくろうと躍起になっていました。事業の根幹を成すプロダクトですから、早くつくって、早く発売して成果を示さなきゃと焦っていたんです。

そうやって視野が狭くなっていたことを見抜かれたんでしょうね。泰蔵さんからある日、『もう方法論にこだわるのは止めませんか? このまま続けるんだったら、ぼくは引き上げますよ』と言われたんです。

続けて『おじいさまの発明の本質は、“すごいハイテクなプロダクト”ではなくて、“アグリカルチャーに触れられる機会をつくったこと”でしょう?』と問いかけられ、雷に打たれたような衝撃を覚えました」

祖父の手書きの言葉を見て涙したのは、まさにその本質だった。都市が近代化していくことによって、人々の生活から農の営みが遠のいてしまうことを憂い、「せめて家庭に自然が残るように」という祈りをプランターに託していたことに触れたからなのだと、あらためて気づいたのだった。

取材・文=西山武志、森ユースケ 撮影=杉原洋平

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