経済・社会

2020.08.16 12:30

「発達障害」の物差しだけでは甘かった 元記者の精神科医の存在|#供述弱者を知る

連載「#供述弱者を知る」

「刑事が好きになったから(うその)自白をした」。裁判官たちに信じてもらえなかった西山美香さん(40)の訴えが、発達障害というフィルターを通してみれば、けっして荒唐無稽な話ではなく、あり得るという現実が、専門家の話から見えてきた。

また、優秀な兄へのコンプレックスを打ち明けた西山さんに刑事が言った「あなたも賢い」という一言に、彼女の氷のような心を溶かすどれほどの破壊力があったのか、ということも次第に分かってきた。

両親に獄中から書き送った350通の手紙、獄中日記、裁判資料に照らしても、矛盾はなく、的を射ていると思った。 しかし、取材に着手した2017年1月の時点で、専門家の証言を軸に「無実の可能性」を訴える報道に踏み切るのは、ためらわれた。なぜなら、専門家たちの証言には、私たちの想定から外れる指摘もあったからだ。

(前回の記事:待ち焦がれた褒め言葉 「うその自白」をすれば刑務所行きなのに

ある専門家を取材した後に電話で報告してきた井本拓志記者(31)の言いにくそうな口調は、いまでも私の耳に残っている。

「いろいろ話は聞けたんですが、ひとつ問題なのは、『発達障害のある人は、うそはつかない』って言うんですよね」

言葉通りに解釈すれば、西山さんに発達障害があることを証明すれば、逆に自白は「本当のこと」という意味になる。井本記者からメールで送られてきたその専門家のコメントはこうなっていた。

「幼い発想は発達障害の人は持ちがちだが、それを上回る特性として、嘘はつかない。人を殺していないのに『殺してしまった』というのは、障害が発達障害オンリーなら言わないこと。小さい頃から『嘘はいけない』と言われてきたのを完璧に守ろうとするから、原則、うそはつかない人たちなんです」

ひとつの物差しでは測れない


この指摘をしてくれたのは、数多くの患者と接した体験がある精神保健福祉士だった。取材した井本記者に対し、西山さんの成育・行動履歴から発達障害の可能性を認めた上での発言だった。

後で振り返ると、まだ障害が明確になっていないこの段階で、複数の障害が絡み合っている可能性を見ていたのは、とても鋭い洞察だと思った。現実にこの3カ月後、精神科医による獄中鑑定で、西山さんには軽度知的障害が判明し、さらには愛着障害がある可能性も分かった。

人は「発達障害」というひとつの物差しで簡単に測れるほど単純ではない。しかし、2017年1月の時点では、私たちは西山さんに対して発達障害の可能性しか想定していない。「発達障害オンリーなら、うそは言わない」と言われたことにより、発達障害という物差しだけで虚偽自白のメカニズムを解こうとした私たちの試みは足止めを余儀なくされた。

先に取材をしていた中学時代の恩師たちは、発達障害、虚偽自白ともその可能性をすぐに明言したが、同じようにはいかなかった。なぜかと考えると、当然だった。恩師らは、救援活動中に勉強会を重ね、事件の詳細に精通していた。それに比べて、専門家に用意した情報は成育・行動履歴のみ。虚偽自白についての見解を引き出すには、前提となる情報があまりにも不足していたのだ。

専門家のコメントは慎重に扱わなければいけない。都合の良いところだけ拝借して原稿にするようでは、うその供述で事件をでっち上げた警察や検察と変わらない。取材に協力してくれた専門家も、つまみ食いのようなコメントの扱い方には納得しないだろう。
次ページ > 虚偽自白のメカニズムを解こうとするも行き詰まった取材

文=秦融

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