私は「いま、とある冤罪事件を取材しているんだけど、看護助手の若い子が患者の人工呼吸器のチューブを外して殺したっていう10数年前の事件、覚えてないかな?」と聞いてみた。
小出君は「聞いたことあるような、ないような。それで?」と私に説明を促した。短い時間だったが、彼とは以下のようなやりとりをした。
秦 「その女性が刑務所から両親に手紙でずっと無実を訴えるんだよ」
小出「やってないってか」
秦 「そう。俺も手紙を読み込んだけど、どうも本当なんだ。間違いなく冤罪だと思うわ。ただ、自白はしたけど、刑事が好きになったからうその自白をしたって言ってるんだよ」
小出「なるほどね」
秦 「おかしな話なんだけど、手紙を読むと本人なりの理由はちゃんとあるんだよな」
小出「当時はその子いくつだったのかな」
秦 「逮捕された時は24歳。それで、調べてみると、彼女に発達障害がある感じなんだよね。行動履歴を見ると、幼稚園の運動会でトラックを1人だけ逆回りで走ったとか、本当の親じゃないってうそをつくとか。でも、発達障害の専門家に聞くと、発達障害だけならはうそをつかない、と言われて、困っちゃったんだよ。誰か知り合いでこの分野の専門家を紹介してもらえないかな、と思って」
専門家を紹介をしてもらおうと、元同期記者の精神科医に電話を書けたのが取材の大きな転換点となった(Shutterstock)
小出「なんで俺に聞かないんだよ。俺はその分野の専門家だよ」
秦 「あれ、そうだったっけ。心療内科だろ? 鬱だとかが専門じゃなかったっけ?」
小出「鬱も発達障害と深い関わりがあるんだよ。俺のところに来る患者さんの症状の多くが発達障害に起因しているといっても差し支えない。医者になって以来、発達障害の患者を何百人も診てきている」
秦 「それは失礼しました。なんだ、それなら最初から小出に聞けばよかったのか」
小出「そうだよ。で、まずは彼女が書いた手紙そのものを見せてもらうことはできるの?」
秦 「もちろんお安いご用だよ。ありがたい。手元にあるのは実物ではなく、コピーだけど、それでもよければ。メールで送ろうか」
小出「何通か見せてほしい。今度の木曜に名古屋に行く用事があるので、その時に本社に寄って見せてもらうってことでいいよ。時間は午後4時ごろでどう?」
秦 「分かった。資料を用意して待ってるので、よろしく」
とんとん拍子の展開に私自身、驚いていた。灯台下暗しとは、まさにこのことだった。専門的な視点での検証に協力してくれる、うってつけの人物がこれほど身近にいたとは──。私が発達障害の分野にいかに疎かったか、図らずも露見した出来事だった。
彼が関わることになったこの時から、取材の歯車は一気に動き出すことになる。
連載:#供述弱者を知る
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