ビジネス

2020.08.14 18:00

日本人が挑む 「見捨てられた貧困地域」への教育支援

倉科茉季さんとベナンの子どもたち


素晴らしい動機ではあるが、それではなぜ、茉季さんはベナンで英語を教えようと思ったのだろうか。
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「どんな環境でも、自分の身ひとつあれば英語を教えられるということを証明したかったんです。それならいっそ、物も満足にないようなところで英語を教えたい。そんな考えから、途上国で教師になろうと思いました。でも、まずは英語を教える実力をつけなければいけません。それで、日本で教師になったんです」

当初は3年で仕事を辞め、途上国に渡ろうと考えていたが、日本での赴任先の学校の居心地がよく、気づけば5年が経とうとしていた。

このままでは、いつまでたっても日本からは出られない。30歳を機に職を辞し、自らの目標へと動き出した。
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「途上国」というキーワードこそあれ、具体的な国名は考えていなかったという茉季さん。海外で教鞭をとったあと、その経験を将来的に日本の英語教育に還元したいという思いもあり、日本と同じように英語が母語ではない国を探すことにした。いろいろと情報収集を進めた結果、候補にあがったのがフランス語圏のベナンだった。

「まずは現地に行ってみようと、2018年の12月に、初めてベナンに行きました。その時の印象は、暑いし臭いし汚いし。どうしようと思いました(笑)。でも、食事は美味しかったですし、とにかく人が良かったんです。その時に出会ったのが、クラリスという名前のベナン人女性でした」

以前のコラムでも書いたが、シェリーココの莉穂さんの運命を変えたのがベナン人のベルアンジュという女性とのの出会いであった。それと同じように、クラリスとの出会いが、途上国で英語を教えるという茉季さんの夢を現実のものにする。

「クラリスは貿易関係の仕事をしていたのですが、ボランティアで私たち外国人がベナンを訪れる際の現地コーディネーターもやっていました。私がベナンで英語を教えたいということを伝えると、彼女の地元の、英語を教えているビジネススクールや小中学校を紹介してくれたんです。そして、ベナンに戻ってくるなら一緒に住もうとも誘ってくれました」

1週間の滞在で、仕事も住む場所も、パートナーさえも見つけた茉季さん。2度目の渡航となる2019年7月末、今度は晴れて英語教師として、ベナンの地に降り立った。
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文=鍵和田 昇

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