恐怖とエロティシズム、泉鏡花と「妖怪コロナ」|妖怪経済草双紙 #3

『百鬼夜行絵巻』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号:10(著作権保護期間満了(パブリックドメイン))より

妖怪は何を具現化するのか。妖怪博士の研究と妖怪文学の大家から、現代の妖怪「コロナ」を読み解く。日本証券業協会特別顧問で、一般社団法人グローカル研究所代表理事の川村雄介氏が、妖怪譚で時代の動きを語る。妖怪経済草双紙、第3弾。


一体に、妖怪という存在は、目に見えても触れられない、自分には見えても他人には見えない、人の命を奪うものもいれば、害のないもの、さらには人間の側が愉快になるものまで様々で、捉えようがなく怖いような、楽しいような、実にバラエティに富みます。だから、妖怪は、結局は時代時代の知識や学問では明確に説明できない自然現象、あるいは人間の心裡に潜む精神現象なのではないか、とも考えらえます。「未曽有の地震や大雨がなせるものだ」、「気のせいだ」、「メンタルをやられたね」といった解釈です。妖怪を科学的に捉え直す、というスタンスですね。

学問としての妖怪


江戸時代まで、自然科学とは比較的、縁が薄かった日本は、明治の文明開化で急速に西欧科学を取り入れていきます。これは妖怪の世界にも大きな影響を与えました。伝説、奇譚、巷説だった彼らが学問の対象になっていったんです。

最も著名な人物は、妖怪博士といわれた井上円了博士でしょう。東洋大学の創始者です。建学当時は、哲学館という学校でした。彼は、哲学館で人類学や法理学、生理学とともに『妖怪学』を開講しました。

井上博士は、数多い妖怪を合理的精神と近代科学思想に基づいて分析し、位置付けようとしました。妖怪は虚怪と実怪に分けられる。虚怪は誤解、思い込みによるもの(誤怪)や作為的なもの(偽怪)を指し、実怪は実際に発生する不可思議な事象を意味します。

虚怪は妖怪でも何でもない。実怪もその多くは、気圧の変化や地球物理などで説明できます。どうにもこうにも説明がつかない、実怪の一部だけが妖怪なんですね。つまり井上博士は、迷信や陋習を打破して西欧的な科学観を打ち立てようとしたのでしょう。

もう一人、忘れてはならない人物が柳田国男先生です。遠野物語で有名な、日本の民俗学の祖ですね。彼はむしろ日本各地の伝承、その中の妖怪譚を正面から受け止めようとしました。妖怪を、存在の有無ではなく、受け止める人間の側の文化として捉えました。井上博士は全く異なるアプローチです。ですから、両人はかなり厳しい対立論争を展開しています。

その後、現代に至るまで、民俗学はもちろん、歴史学や心理学の分野でも妖怪が研究されています。神と妖怪の関係とか、妖怪のグローバル・コネクションとか、学際的、国際的な研究も進められています。
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文=川村雄介

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