上阪徹の名言百出

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コロナ禍により、先行きの見えない、不安な日々が続いています。自分の身に何かが起こるかもしれない、思ってもみない状況に追い込まれるかもしれない──。これほどまでに多くの人々の心を揺さぶる事態は、これまで日本ではなかったのではないでしょうか。

こんなとき、心穏やかになれる方法を、かつて私の取材で語ってくれていた人がいました。『青春の門』や『大河の一滴』など、数々のベストセラーを世に送り出してきた作家、五木寛之さんです。

今度は芥川賞でももらおうか


五木さんは1932年、福岡県生まれ。生後すぐに朝鮮半島に渡り、第二次世界大戦後、動乱のなかを日本へと引き揚げてきました。普通の人では体験できないような、非日常的な毎日を送ったこともあり、「若い頃から将来のことなど、気にならなかった」「なんとか今夜、寝るところがあって、食べるものがあれば十分だった」と言います。

実際、20代のときはラジオ番組の制作や作詞など、さまざまな仕事を経験しています。その後、どうして自分は作家になれたのか。こんな話をされていました。

「僕は他力主義なんです。自分に与えられた運命をそのまま受容する。天命という言葉がありますが、天に生かされていると思っている。物語をつくる能力を与えるから、その能力を発揮して、世の中の人に語りかけなさい、と」

「歌の上手な人で、好きで歌っている人は、必ず途中で挫折する」とも彼は語っていました。歌手の人が、芸能界がイヤになったり、歌うことに疑問を持ったりする。

「僕はそういうとき、あなたは歌でみんなを喜ばせるというミッションを与えられた者だと思いなさいと言います。そうすると、たとえ辛いことがあっても、同じ歌を1日10回歌えと言われても、生涯歌い続けていけるよ、と」

戦後を代表する作家で、直木賞をはじめ数多くの賞も受賞している、まさに大御所ですが、目の前で語る五木さんはとても謙虚で、静かにものを語る人でした。生きるということについては、こんな話をされていました。

「僕は、何かに生かされているという実感があるんです」

作家になって2度、いちばん忙しい時期に、五木さんはそれぞれ数年間休筆されています。普通では考えられないことです。実際、「戻ってきても、椅子があるとは思わないでください」と言う編集者もいたそうです。自分でもそう思っていたといいます。

「でも、何か見えない力が自分を休筆させたのです。そして、まだ必ず出番はあるという自信もなぜかあった。だから、じたばたしたり、不安に思ったりしたことはありませんでした。もし椅子がなかったとしても、また一からコツコツ書いて、今度は芥川賞でももらおうかと思ったりしていました」

文=上阪 徹

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