ラブドールを必要とする人々にとっても、規制が全く存在しない状況が最善というわけではない。たとえば日本のアダルトショップにおいて、児童型ラブドールが「合法レイプ」というポップとともに販売されていた例がTwitter上で問題視されていたが、このようなケースはラブドールを必要としている当事者への偏見を助長するという意味でも問題視されて然るべきだ。
一方で1977年に東京・上野に創業したオリエント工業には、障がい者に向けてラブドールを生産し始めたという経緯がある。もし規制が必要になるのであれば、適切な販売方法であったり、どのような条件であれば購入可能になるのかというゾーニングが徹底される必要があるが、そのためには当事者を含めた繊細な議論が必要になる。菊池はこう指摘する。
「市場規模という観点からみると、ラブドールを実際に所有している人や、その実物を生で見たことがあるという人は決して多くないと思います。とりわけインターネット上で注目される以前は、ごく少数の人々が嗜好するアンダーグラウンドなカルチャーにすぎなかったわけです。今ではそれなりに知られることも多くなったオリエント工業のラブドールも、昔はショールームに足を運ばなければ買えなかったわけですから。社会のなかで一定の注目を浴びるようになった今こそ、どのような形で社会と折り合いをつけるべきか議論されねばなりません。児童型ラブドールに対して何らかの規制が必要だと考えるにしても、当事者不在のままで議論が進むことはあってはならないと思います」
『ラースとその彼女』に登場する人々も、もしラブドールに対して一面的な見方しかできていなかったなら、ラースを単なる気味の悪い人間として排除することにしかならなかっただろう。彼らがラースのことを理解できたのは、ラースが人形を必要とした理由について、正面からきちんと向き合ったからだ。
アメリカではカップルでラブドールを購入する人も少なくないという(Getty Images)
また逆に、ラースがコミュニティへと開かれることができたのは、街の人々の優しい気持ちに彼自身が気がついて、自分勝手な行動をしてはいけないと悟ったからだ。このような関係性を築くことは現実の社会でも果たして可能だろうか。
菊地が述べるように「人形はメディアである」。人形を考えることは、他者のことを考えることだということを忘れずにいることは、今後の議論の中でも重要になるだろう。