「児童型ラブドール」を規制すべきか
しかし、たとえラブドールのユーザーたちが抱えている背景が多様であったとしても、それが「児童型ラブドール」である場合はどうなるのであろうか。オンライン署名収集サイト「Change.org」では、「Ban Child Sex Dolls」という児童を模したラブドールの販売などの禁止を要求するキャンペーンが行われている。「児童型ラブドール」を生産することは、児童への性的虐待を肯定する言説に繋がりうるのではないかという懸念があるからだ。
ラブドール自体は日本に限らず世界中で生産されているものの、幼い少女そっくりの製品を生産している国としては日本が特に有名だ。この問題が世界中で物議を醸すきっかけとなった一つに、米メディア「The Atlantic」が2016年に公開した「Can Child Dolls Keep Pedophiles from Offending?」という記事があるが、この取材のなかでインタビューに答えているのも日本のあるラブドールメーカーの代表であった。彼の訴えは、満たされない欲望を抱いたまま生きていく小児性愛者の欲望を合法的かつ倫理的に解消するために、「児童型ラブドール」の販売は正当化されるというものだった。
菊地は「児童型ラブドール」の問題についてどのように考えるのだろうか。
取材はリモートで行なった。「他分野の研究者とは問題の見え方が違うと思うので、分野を跨いだ議論が必要だ」と述べる。
「一人の市民としての意見を述べるならば、『児童型ラブドールを規制すべき』という主張には共感できる部分も少なくありません。例えば、明らかに子どもを模しているかのように見えるラブドールの存在を社会の側が許容することは、児童への性的虐待を肯定することに繋がりかねないのではないかという懸念が、現代の社会の中から出てくることについてはよくわかります。今後も、法学者や倫理学者、ジェンダー学者など、この分野に関わる問題を扱っている専門家たちを交えた慎重な議論がなされていくべきだと思います」
「表現の自由」に訴えることによって児童型ラブドールの生産を擁護することが権利上は可能であったとしても、それがすぐさまその生産を正当化することにはなり得ない。タブーのない無制限の「表現の自由」が実現された社会など未だかつて存在したことがないということからもわかる通り、権利上の「表現の自由」が「公共の福祉」の侵犯といかなる関係を結びうるかということについては、常に慎重にならざるを得ない。
ラブドールを必要とする当事者の声は?
このような前提を踏まえつつ、今後はどのような議論が重要になってくるのだろうか。菊地は次のように続ける。
「人形を研究している立場として意見を述べるならば、ラブドールを現実に必要としている当事者の声が、今後の議論のなかでないがしろにされてはならないと考えています。プライバシーの問題もあり、議論をするにしても当事者の声はなかなか表に出てきづらいわけですが、そうであるならば一層、当事者への配慮という点に慎重になる必要があると思います。当事者たちが、ラブドールの生産にいかなる規制も必要ないと考えているとは限りません。無制限の自由を訴えることで社会からの全面的な反発をうけるよりは、適切な規制のあり方を交渉したいという人もいるはずですから」