アートは贅沢品なのか? パンデミックが教えてくれた芸術の価値

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これまで、電気もスマートフォンもない原始的な暮らしを続けるアフリカなど世界各地の田舎の村や集落を訪れているが、都市部のスラムとは異なり、「スローライフ」というのか、そこにはゆったりとした時間が流れていた。いつも笑顔と音楽が溢れていて、「幸せ」と「物質的豊かさ」はイコールでないと感じることが多かった。

今年3月初旬、まだクルーズ船内のコロナ陽性者が確定していなかった頃、パナマで下船が許され、熱帯雨林の奥地に住む先住民の村を訪れる機会に恵まれた。シンプルそのものの暮らしだが、木製の道具や器の一つ一つには素朴な味わいがあり、芸術的な風雅を感じた。

村に古くから伝わる民族の詩を長老が音楽的に吟ずるのを聴き、心が震えた。村人たちの生命感に満ちた歌声と民族楽器で奏でる躍動感あふれる情熱的な調べに合わせて私も踊り、太鼓を借りて「魂」の音楽に興ずるとき、心を解放し、我を忘れることができた。


パナマの熱帯雨林奥地の先住民の村にて

音楽は「社会的自分を忘れさせる力」を持つ


フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌは「音楽が作られたのは自分を忘れるためさ」と言い放ったが、音楽は「社会的自分を忘れさせる力」を持つのではないだろうか。大人になるにつれて捨てることを余儀なくされた「本来の自分を思い出させる力」とも言えるかもしれない。

アートや文化はいつのまにか「贅沢品」のようになっているけれども、本当は身近にあり、人間が笑顔で健やかに暮らしていく上で欠かせないものなのだ。

パナマでの私の体験を挙げるまでもなく、人類は貨幣経済よりずっと以前である太古の昔から音楽やアートに囲まれて暮らしてきた。音楽は人間が自然を畏れ崇め、地球と共生し、自然の一部として謙虚に暮らしていた先史時代からあったのだ。「自然は芸術そのもの」であり、音楽も芸術も自然の中で生まれ、育まれてきた。

実際、クジラの奏でる歌は、人間の創造した音楽と非常によく似ており、クジラの歌を聴いた途端、謂れのない感情の波に襲われ涙するひとは多い。海洋生物学者ロジャー・ペインによると、クジラと人間は6000万年もの長い期間、全く交流がなかったという。しかし、我々はクジラの歌声に不思議な懐かしさを覚え、魂を揺さぶられる。

フランス語で海(mer)と母(mère)は同じ発音であり、また漢字を見ても分かるとおり、人類の祖先は「母なる海」から産まれ、陸へと上がった。女性の子宮が「大いなる海」に例えられるように、人類は悠久の時の流れの中で、太古の記憶である “海の歌声” を母親の胎内で聴き続けているのだろう。
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文=平井元喜

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