アートは贅沢品なのか? パンデミックが教えてくれた芸術の価値

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グリュッタース独文化相は、ロックダウンと同時期に「私たちは、画家、音楽家、作家、全てのアーティストが生き残ることを望んでいる。アーティストが発する創造性やアイデアは、困難に直面している我々を勇気づけるものである」と力強く述べ、「この状況下にあって、アーティストは、生命維持に必要不可欠な存在である」と明言した。

メルケル独首相も、5月9日の演説で「連邦政府は芸術支援を優先順位リストの一番上に置いている」とした上で、「親愛なる芸術家の皆さん、あなたたちにとって今がとても困難な時期であることを承知しています。どれほど多くの市⺠が再び“ライブ”であなたたちの芸術を体験できることを待ちわびているか……」と語りかけ、直接支援を受けることのない世界中のアーティストたちまでがこの言葉に励まされた。


メルケル首相

第二次対戦中、ナチスの独裁のもと自己を表現する自由や文化を根こそぎ奪われ、あわや窒息しかけた歴史を持つドイツ人だけに、自由や文化芸術の有難みが身に沁みているのだろう。どちらも気迫すら伝わってくる演説だった。

戦時下の日本でも、空襲で焼け出され食べ物も何もない状況で、音楽や文学、芸術がどれだけ人々の心に潤いを与えたかわからない。

私の祖父で作曲家の平井康三郎は、東京大空襲などで膨大な作品の原稿や草稿を焼失した。しかし、「太陽がないときには、それを創造することが芸術家の役割である」というロマン・ロランの名言よろしく、五線紙が手に入らないなか手帳の隅や紙切れを見つけては湧き出る音楽を書き留めた。

また、チェリストである父・平井丈一朗も、学童疎開中に食べ物がなくて痩せ細り、雑草を食べては下痢や湿疹に苛まれる毎日のなか、音楽に元気付けられた。オルガンもピアノもないながら、父は児童を集めみんなで歌ったという。

文化事業の経済的価値


終わりの見えないパンデミックが続く中、世界には、私を含め、表現する場のない「翼を奪われたアーティスト」たちがまだまだ多くいる。劇場関係者や文化に携わる人々も、未だ希望の光を見い出せないまま深刻な状況にあると言っていい。今後、いかに経済と芸術文化を調和させ共存させていくかは大きな課題であろう。

健全な精神は健全な肉体に宿る。逆もまた然りである。在宅ワークを余儀なくされるなかで人々は「心と体のバランス維持」の大切さを感じているはずだ。心に栄養を与える「音楽・芸術・文化」と「適度な運動やスポーツ」なくしては、健全な精神も肉体も保つことはできない。さらに言えば、その健全さがなければ、健全な経済活動もあり得ないのではないだろうか。

連載:心で感じ、魂で奏でよ!
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文=平井元喜

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