最初に井本記者が取材したある精神保健福祉士は、成育・行動履歴を一読して「発達のテストをすれば、確実に発達の偏りやデコボコが出てくるとは思います」と指摘し、いくつかの特異な行動が、この障害ゆえの〝誤学習〟によるとの解説をした。
「幼稚園でグラウンドを逆走するなんて、目立とうと思っても普通は度胸がなくて踏ん切りがつかない。この人の場合は『これやってもかまへんやん』くらいに考えている。周りが苦笑いで『わー』とざわついたのを本当の笑いと区別がつかず、良いことをしているんだ、と間違った学習になってしまう」
この解説は、小学校の時に出てくる「金魚や洗剤を食べた」という話にもそのまま当てはまる。これだけ聞くと、誰しもぎょっとするかもしれないが、そのような行動に出た背景には、友だちの輪に入れない子どもの辛さと、その辛さから逃れようとする涙ぐましい思いがあった。
悩ましい友達づくり 高校時代は「花の都」
西山さんは、この時のことをいまもよく覚えており、笑いを交えて自らこう話した。
「小学校の高学年になっても友だちができず、いつもどうしたら友だちができるんやろうって、悩んでいたんです。ある時、教室の後ろで何人かが集まっていて、私も入れてって言ったら、意地悪な男の子が金魚鉢を指さして『金魚を食べたら仲間に入れてやる』って言ったんですよ。仲間に入れてほしいから『そんなん平気や』ってメダカみたいな小さい金魚をすくって、ぽんと口に入れてごくんて。周りはびっくりししますよね。『わーっ、こいつ本当に食べた』って。でも、私はみんなができないことをして、騒がれてヒーローになった気分になってるんですよ。みんなに認めてもらったような気になってたと思います」
なるほど、そういうことだったのか、と腹に落ちた話はもう一つある。これも、後に西山さんから聞いて分かったことだが、高校時代のことだ。
専門家に示した行動履歴の【高校生】のところは「比較的安定して過ごした」とあるように、高校の3年間だけは、裁判資料、両親の聞き取りから、特異な行動や問題が一切出てこなかった。これが、私には不思議だった。
社会人になってからも安定しているのなら分かるが、そうではないからだ。「なぞの3年間」が、西山さんの進学先が農業高校だったことと関係していることを知るのは、出所後のことだった。
ある時、西山さんに「高校のときは、何も出ていないけれど、どうだったの?」と聞くと、彼女の表情がパッと明るくなり「高校の時はよかったー。私にとっては花の都。あのころは毎日がパラダイス。本当に楽しかった」と言って、とうとうと語り始めた。
「中学校ではお兄ちゃんと比べられたけど、誰もお兄ちゃんのことを知らない。農業高校やから、そんなに勉強しなくてもいい。実習してたらいいんやもん。鶏をいかにうまく解体するか、とか、上手に捕まえてくるか、とか。私、鶏を捕まえるのが、得意やったから」