ヒーローだった高校時代 冤罪は「生きづらさ」見知らぬ社会で起きた|#供述弱者を知る

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西山さんが特に生き生きと話したのは、朝の日課だった鶏舎での採卵作業だった。

「卵に手を伸ばすと、おんどりがめちゃくちゃ怒って襲ってくるんですよ。女子クラスやったから、みんな怖がって誰も採りにいけないんです。でも、そういう中でも採りに行くのが、私はうまかった。ささっと卵を集めてくると、みんなが『すごーい』って。もう毎日、ヒーローやったんよ」

西山さん生来の目立ちたがり屋で無鉄砲なところからくる行動力が吉と出て、クラスの中で重要な役割と居場所をもたらし、毎日が充実していたということだろう。

友だちもでき、個性が裏目に出た小学校や中学校、社会人のときは別世界だった。人は、なんと環境に左右されやすいものか、とつくづく思う。


西山さんが後に笑いを交えて振り返った高校時代のエピソード。他の時期とは違って別世界のようだった (Shutterstock)

「じっとしていられない」性格 実は孤独だった


小学校で友だちができなかった理由を「今ならわかるけど」と言って、友だちづくりに失敗した最初の経験を話し始めた。小学校3年のときのことだという。

「友だちと遊びに行く約束をして待ち合わせしたんです。私が先に待ち合わせ場所についたら、たまたまそこに、約束した友だちとは別の子が来た。私は約束のことを忘れて、別の子と一緒に行ってしまったんです。私は遊びに夢中になり、かなり経って待ち合わせた子がいないことに気づいて『遅いなあ』と思って、待ち合わせ場所に戻ったら『ずっと待ってるよ』と。私は待つことができない子だったんですよ。そりゃ、友だちができなくなりますよね」

小学校の時に授業中、教室を飛び出した理由も「じっとしていられない」ためだった。

「勉強はわからないし、友だちもできない。じっと座っていると、いらいらしてくるんです。わーって言いながら、教室から飛び出すと、先生が後を追い掛けてくる。いらいらを先生にぶつけていたんやと思う。運動場に走って行くと、先生が『こっちに来なよー』って。それがうれしかった。保健室にもよく行きましたよ。保健室は、保健の先生と2人っきりで、静かな雰囲気が好きだった。だって、教室では、騒ぐと、みんなが『西山さんなんかいない方がいい』って言うやもん」

時に自分より弱い子にはけ口を求めることもあった。

「特別支援学級に行って、友達になってもらおうとして、くすぐったりした。相手が『やめて』と言ってもやめなかったから、先生は私がいじめているように見えたと思う」

一方、そんな西山さんにみんなが寄ってくることもあった。

「それは体育の授業のとき。私はどべたになるから『一緒に走ろう』って。そういう時だけは、みんなが寄ってくる。だれもビリになりたくないから。でも、それは悲しかった」

西山さんの小中学校時代はもちろん、事件に巻き込まれた当時も、発達障害について当事者の視点で、その「生きづらさ」を社会が共有できてはいなかった。それどころか、事件から12年が過ぎ、私たちが取材に着手した時点、いや、もしかするといまもなお、当事者の「生きづらさ」は社会でちゃんと共有されているとは言えない気もする。

西山さんの虚偽自白が、発達障害にも起因する部分が多々あるということは、専門家から得た知見とともに、後に本人から長い時間をかけて得た証言を重ね合わせ、より鮮明に見えてきた。

彼女の孤独や疎外感が生みだした心理的な脈絡を読み解く専門家の的確な分析は、発達障害の知識に乏しい私たちの取材を間違いなく前進させてくれた。


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文=秦融

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