「メンタリティが変わった」 沖澤のどかがベルリンで得た指揮者としての気づき

沖澤のどかさん (c)Yves Petit

昨年9月、若手指揮者の登竜門として知られる「ブザンソン国際若手指揮者コンクール」で優勝した沖澤のどかさんが、9月11・12日、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会へ初登場する。

1987年青森生まれ、東京藝大を首席で卒業後、オーケストラ・アンサンブル金沢指揮研究員を経て、ハンス・アイスラー音楽大学への留学。そのまま拠点を移し、秋からはベルリン・フィル首席指揮者キリル・ペトレンコ氏のアシスタントを務めることになっている。

ベルリンという街は彼女に何を与えたのか。今後、どのように活躍していきたいのか、話を聞いた。(前編はこちら


音楽を勉強しているだけではダメだ


ベルリンには、(沖澤さんと同じくブザンソンの日本人ウィナーでもある)指揮者の山田和樹さんも住んでいて、家族ぐるみでお付き合いしてもらっています。クラシックのホールも充実していて、ベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモニーも古めかしい感じが今は逆にかっこいい、みたいなところがあったり、コンチェルトハウスも美しく、魅力的な街です。

ベルリンに留学してから、精神的に開けてきた感じがあります。気持ちが軽くなって、随分と生きやすくなった。いろんな人がいて、誰も他の人がどう生きているかを気にしていないのです。自分がマイノリティであることを意識させられることが少なく、すごく自由に生きられる気がしました。

実は、留学前に参加したザルツブルクの音楽祭のマスタークラスでも似たようなことを感じていました。そこには日本人がひとりもおらず、とても開放的な気持ちになり、気が大きくなったのか、普段だとやらないくらいに表情豊かに指揮をしてみたのです。

ところが、そこまでやっても、「あなたの指揮はわかりやすいけど、表情が足りない」と言われてしまって。これだけやっても足りないというギャップにショックを受けて、この世界で通用するようになるには音楽を勉強しているだけではダメだなと。コミュニケーションや人の生き方というのを現地に行って学ぶ必要があるなと気づいたのも留学の決め手となりました。

ベルリンの空気に馴染んでからは、メンタリティが変わったのか、日本に帰国して仕事をしていても、前とぜんぜん感覚が違うのです。今まで生き辛いと思っていたことが、別にまわりに要因があるものではなくて、自分がそう思っていただけだったと分かるようにもなりました。

大学院の前に通っていた語学学校の影響もあります。音楽が共通項にならないいろんな人種の人と関わることで世界が拡がり、自分の音楽家として以外の部分が拡張した気もします。「人間としてどう生きるか」と考えることが増えたからか、たとえばコンクールやマスターコースに落ち続けても、そこまで気にならなくなりましたね。
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文=山本憲資

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