そのときのことは朧気にしか覚えていないが、そのおよそ半年後、小澤征爾もウィナーとして知られるブザンソン国際若手指揮者コンクールで優勝したことで、彼女の名前が大々的に報道され、「あ、あのときの」と記憶が蘇った。
そこから、映像で彼女の指揮を観て、小さな体から放たれる力強いタクトに惹かれて、実際のコンサートを聴きたいなぁと思っていた。そしてコロナが少し落ち着いた7月、上野でその機会に恵まれ、公演の少しあとに、今回のインタビューをさせてもらった。
沖澤さんは8月2日、NHK交響楽団による自粛期間明け初の、ホールでの客演コンサートでタクトを振る。その後、秋からはベルリン・フィルの首席指揮者キリル・ペトレンコ氏のアシスタントを務めることが決まっている。若手指揮者のトップランカーとしてのキャリアを着実に歩んでいる彼女に、ここまでの歩みを聞いた(後編はこちら)。
「指揮科ならなんとかなるかも」
叔父の影響で小さい頃からチェロをやっていて、合唱部やジュニアオーケストラに入ったり、高校は吹奏楽部でオーボエをやっていました。私にとって音楽は「生活」の中のエッセンスのひとつで、「仕事」という感じはあまりしていなかったのですが、その考えが変わり、指揮者になろうとはっきりと意識したのは、高校二年生の冬でした。
高校卒業まで青森にいたのですが、二年生の冬に語学研修でシドニーにホームステイをする機会があり、そこでカルチャーショックを受けて、漠然と「音楽だ」と閃いたのです。
ほんとを言うと、オーボエを続けたかったのですが、高校進学のタイミングで、親に音楽の道には進まないと話していたこともあり、今更楽器を買ってと言い出しづらかったのもありました。言語としての日本語に興味があったので、大学ではそういった分野の勉強はしながら、音楽は趣味でやろうかなと。ただ気づくと、「このサークルだと海外の演奏会があるなぁ」とか、オーケストラのサークルばっかり調べていて。
大学の要項を調べている中で、「指揮科ならなんとかなるかも……」と。「指揮だ!」と降りてきたのではなく、音楽の中でなんとか糸を手繰り寄せたのが、指揮だったのです。