私はピアノも弾くのですが、先生に相談したら、「ドイツの小さい劇場のコレペティにはなれるかもしれない。ただ、そこから大きな劇場に移るのは難しいし、指揮はほとんどできないかもしれない」と言われました。
指揮者コンクールの賞が狙えるなら、そっちの道を攻めていくほうが、最終的にオペラも振れる可能性も高いとアドバイスをもらい、「それならコンクールを積極的に受けねば」と。今の時代、指揮者のキャリアのエントリーとして、コンクールはとても重要になっています。
そもそも世界で通用するレベルのコンクールは、ヨーロッパの方が日本よりはるかに多いです。しかし当然ですが、日本から渡航費・宿泊費をかけてコンクールに行くのは大変なことで、プレッシャーも余計に大きくなる。それに、コンクールといってもピンからキリまであって、その実態は行ってみないとわからなかったりします。
それがヨーロッパにいると、いろんなコンクールに気軽にチャレンジできます。ベルリンは他の街へのアクセスがよく、便利なところです。日本にいたままだったら、経済的にも精神的にも到底できなかったと思います。
2018年に東京国際音楽コンクールで優勝したことで、日本での仕事は徐々に増えてきました。ヨーロッパの仕事も増やしていきたいという思いが強くなってきたタイミングで、昨年ブザンソンのコンクールで優勝できたことは幸運でした。
審査員の中に、ベルリン・フィルの関係者もいて、ペトレンコのアシスタントの職がまもなく空きそうということを教えてもらい、指揮のビデオをマエストロに見てもらえて、結果、採用してもらえることができたのです。
【後編】「メンタリティが変わった」 沖澤のどかがベルリンで得た指揮者としての気づき
連載:山本憲資の百聞と一見の二兎を追う
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